遠山文吉 国立音楽大学
私は、大学で声楽を学んだ後、30年間ほど心身に様々な障害を持つ子どもに対して、音楽を通して関わりを持って参りました。子ども達は実にたくさんのことを教えてくれました。今、考えている全てのことは、子どもを通して学んだことばかりであります。あわせて、1979年にイギリスで音楽療法協会を作られたジュリエットアルバン先生が来日された際、そのお手伝いをして、非常に多くのことを学ばせていただきました。私自身のことをお話しするのに先立ちまして、まず、最近の日本の音楽療法界の動きを若干紹介したいと思います。
今、日本では驚くべき早さで、大小様々な勉強会が続々と生まれてきております。音楽大学にも、熱心な学生が増えてきておりますし、イギリスやアメリカ、ドイツなどで音楽療法士の資格を取られた方が続々と帰国し、活動されています。また、知的障害者や高齢者の施設において音楽のニーズが非常に高まってきております。こうした状況から、各地の大小様々な研究会の代表者を集めて全国組織が作られることになりました。そして、平成7年に臨床音楽療法協会が発足し、同じ年に、すでに10数年前から活発に活動していたバイオミュージック学会と上部組織でつながる全日本音楽療法連盟が発足したのです。連盟の目的としては、まず、音楽療法士の国家資格認定に向けての申請準備、医療保険の点数化、そして音楽療法士養成のためのカリキュラムの作成、この3つが、連盟の大きな命題であります。
国家認定と医療保険の点数化はしばらく時間がかかると思いますが、カリキュラム案はすでに出来、関係大学に配布されております。これに基づいたコースの設置はまだ先のことですが・・・。それと、音楽療法士の認定では、暫定的なものとして、連盟独自の認定療法士がこの4月に誕生しました。これらの作業は非常に短期間に精力的に行われました。しばらくの間、このすさまじい勢いが続くのではないかと思っております。それだけ、この日本での音楽療法の果たさなければならない役割が大きいのだと思います。
さて、大滝さんと電話でお話しした際、大滝さんはハビリテーションということについて話して下さるということでした。ハビリテーションというのは、障害が持つ人が、可能な限り一般社会の中で快適な生活が送れるよう条件を整え、併せて必要な能力をはぐくんでいく事だろうと思います。そしてその基盤となる社会に、障害者を自然に受け入れていく精神構造を作っていく事だろうと思います。
こうした事を念頭において、現実に障害を持つ子ども達をみてみますと、彼らが持つ大きな問題の一つにコミュニケーションが挙げられます。コミュニケーションとは、自分を取り巻く環境の中に自分を適切に位置づけ、関わっていこうとすることであろうと思います。障害を持つ人々にとって、コミュニケーションとは、どういうことを意味するのか、これから一つの問題提起をしたいと思います。
もうずいぶん前のことですが、私は、「重複障害研究会」というのに参加したことがあります。その時のことなんですが、会が終わって部屋を出てきますと、目の見えない方が私のところに近づき、私の手を取って何か訴えかけてきました。私には何が起こっているか見当もつかないで、何も出来ないでいると、その人はあきらめて、別の人のところで、同じようにやり始めたのです。そうすると、今度は相手の人も同じようにやっているのです。後で詳しく聞いてみますと、その目の見えない人は、耳も聞こえなくて、手の中で指文字を示しながらコミュニケーションをしていたのです。
私はこの時、大きなショックを受けました。目も見えず、耳も聞こえない彼が障害者なのか。そうじゃないんじゃないか。しっかりと表現している彼に何も応えられない私自身が障害者なんじゃないかということを思い知った気がしました。この辺のところを自分自身の中にしっかりと位置づけておかなければならないと思います。
もう一つ。ある施設で音楽療法の話をした後、そこの保母さんが「そんなことを言うけれど、私の受け持っている人は、目が見えないし動けないんです。これまでいろんな事をやりましたけど、全然反応がないんです。」と言うのです。
私はそれまで重度の障害児と関わってきましたが、全く反応がないということは一度もなかったので、お願いして、その人に会わせてもらうことにしました。そうすると、目の前には、寝たきりの女性がベッドに横たわっていて私が歌いかけても微動だにしないのです。なるほど、こういうのを反応がないというのかと思いつつ、これまでの経験から、ある一つのことを思いつきました。私は、彼女の胸からおなかにかけてギターを置きました。そして、開放弦でボーンと音を出し、必死で彼女の全身をくまなく見つめました。そうすると、彼女の眼球がかすかに動いたような気がしました。それで何度か繰り返すと、確かに反応があったのです。そのあと、私の体を触らせながら歌ってみました。私たちの体は振動しますね。それを感じさせようとしたのです。何度も繰り返すと、少しずつ彼女の呼吸に変化がみられました。
その様子を見て、ほっと致しました。そしてこのとがあってから、私は、絶対に、これから全く反応がないなどとは、決して言い切るまい、と自分自身に言い聞かせました。反応がないのではなく、反応を呼び起こすだけの能力がないのだ、あるいはそれを読みとるだけの能力がない、というべきだと思うのです。どんなに反応がないように見えても、必ず反応があるし、それがきっかけになってコミュニケーションが展開していくんですね。
で、反応がうまくつかめないような状況にあることを「相互障害状況」と呼ぼう、ということをある方から伺いました。障害のある人が障害者であるだけでなく、うまく関われない私たち自身も障害者だというわけですね。そして、この「相互障害状況」を少しずつ軽減させていくことがこれからの社会の課題なんです。私はこのことをきわめて重要なこととしてかみしめたいと思います。
ただ、このことを聞いてから、ずいぶん長い時間がたっているのに、いまだに「相互障害状況」にある遠山がいるわけで、あんまり大きな事は言えないんです。でも、一つの問題提起として申し上げておきたいと思います。
コミュニケーションの手段には色々あって、音声言語はもちろん、手話、指文字、点字など様々な構造化されたものがあります。もう一方で、構造化されているわけではないが、非常に重要なものもたくさんあるわけです。表情、まなざし、体の向き、呼吸や体温の変化などもみんなコミュニケーションの手段として受け止めていかなくてはいけないんですね。音楽は表現の世界ですが、演奏する側と聞く側との感情の交流が非常に重要であり、それがコミュニケーションなんです。
初めにも少し言いましたジュリエット・アルバン先生は、パブロ・カザルスに学んだ世界的なチェリストです。先生の演奏にうたれた聴衆の姿を見て、このように偉大な音楽の力というものを障害を持った人のためにも役立てたい、という思いで音楽療法を始められた方です。
先生は、日本に来られた3カ月の間に、殆ど言葉を使わず子ども達とやりとりをしたんです。そして子ども達は非常になついて、たくさんの表現をし、先生とコミュニケーションをしました。先生の取り組みは非常に質の高い素晴らしいものでしたが、たくさんの聴衆を前にするのと同じ精神で、ひとりの子どもに対していかなければならない、ともおっしゃいました。音楽のコミュニケーションといっても、並大抵のことではないんですね。ものすごい時間をかけて練習しなければならないのです。
また、音楽はコミュニケーションの一つの手段ですが、コミュニケーションには情緒や運動機能、認知の能力が深く関わり、そういう基盤になるものも育てなければならないわけです。音楽は、こういったコミュニケーションの基盤になるものを育てる上でも大変有効です。
最後に、先日体験した事をご紹介します。ついこのあいだ、重い知的障害を持つ青年たちのためのデイケアの施設を訪ねたんです。そこで、実はなんの準備もなかったんですが、いきなり音楽をやることになって歌ったりして楽しんで参りました。音楽は、初めて出会う人との間でも、非常に有効なコミュニケーションの手段だと言えます。
そこに、おもちゃのギターをものすごい力ではじいている青年がいましてね。私はそのギターをちょっと借りて音の並びを変えたんです。そうすると彼は「えっ」という顔をしました。音の違いを即座に感じ取り、「違う」という表情をしたんです。これはコミュニケーションですね。彼は手の力をコントロールできないようなんですが、私はギターの音を何とか合わせて弾いてみたんです。彼はそのギターをすごい力で抑えているもんだから音は響かないんです。でも、私の歌が聞こえてくるや否や、なんと彼はその力をほどいたんです。これは、私とのコミュニケーションの出発点と言っていいと思います。
もうひとり、非常に緊張性の強い青年がいまして、気が向くとキーボードを弾くんです。が、力が入りすぎてダメなんです。色々話しかけながら、肘や肩を支えると、腕が少し伸びましたので、そーっと黒鍵の所を触らせたんです。それに合わせて私が色々弾いたりして、やりとりしたんです。するとみるみる全身の力が抜けて正中線をを越えてまで腕が伸びていったんです。これは、肘を支えたりする私の意思でもありますが、力が抜け腕が伸びるというのは、彼自身の意思表示なわけです。
職員の方も、すごくいい音楽が出来たね、とおっしゃいました。本当にやりとりをして行くには、まだまだ、時間をかけなければならないことですが、そのきっかけが見えたという事は出来ますね。このように、相手に任せたり、力を抜くということもコミュニケーションです。こうしたことを導いていくには、技術も必要だし、力が抜けたと感じ取る感性が大切なわけです。
非常に雑ぱくではありましたが、遠山がこんな事をやっている人間だという、自己紹介に代えてお話をしました。大滝さんとのお話の中で、色々深められればと思います。
(臨床音楽療法協会副会長・全日本音楽療法連盟理事)
クラブEKO会報誌「ブレティーネン」、No.8掲載 1997年8月発行
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