〜障害をもつ人達と一緒に、みんなで創る市民ミュージカル〜 “たとえばボクのそばにキミがいてくれるなら‥forever・・”
クラブEKO広報誌「ブレティーネン」No.18 2001年7月発行 掲載
国際障害者年―、それが、これまで社会の片隅に置かれていた障害をもつ人達に光を与えた出来事であったことは、もはや疑いないところであろう。『24時間テレビ』に代表される各メディアでのピックアップもまた、これに拍車をかけてくれ、障害をもつ人達の、ある一定の市民権の獲得につながっていったものと評価できよう。しかしながら、ここで言う市民権とは、その生存が認められたに過ぎず、当たりまえの人達が当たりまえに暮らすといった、真の「市民」の権利を獲得できたわけではなかった。
私たちの周りに、そうした苦悩や、一方では諦めを抱えた、多くの障害をもつ仲間達がいた。仲間達が置かれた環境の数々は、社会の仕組みが、彼らに合っていないということを教えてくれた。すべての人が自分の足で歩ける、すべての人が目が見え、耳が聴こえ、適切な判断ができる…、そうした誤った人間観のもとにこの社会が創られたばかりに、その陰で苦悩する障害をもつ人達がいる。私達は、そうした社会の誤りに気づき合いたいと願った。社会の体制や価値観を変えるといった大きなことは、私達にはできない。しかし、仲間達の痛みを共有すること、社会に対して何らかの小さなアクションを起こすことはできる。いや、私達が行動しなければ、誰がそれを行なうというのか?
そうした諸々の想いに駆られた私達は、今から10年前、「共に生きる」を社会に対して問う試みを起こした。あれから、10年。障害をもつ人達をめぐる社会環境、特には心のバリアフリーを求めて、私達はささやかな行動を続けてきたが、ここに、私達の10年にわたる試みの集大成として、『障害をもつ人達と一緒に、みんなで創る市民ミュージカル"たとえばボクのそばにキミがいてくれるなら‥forever."』を制作・公演した。
素人ばかり、それも、言語障害のかなりキツイ障害をもつ仲間達と一緒に、ミュージカルを創ったのだ。
このミュージカルでは、第三者が定めた日課主義と狭すぎる選択肢のなか、施設で暮らす人達の人生を描いた。社会福祉の潮流は、地域福祉・在宅福祉の方向にあるが、今もなお、施設は増え続けている。なぜか? それはおそらく、他に暮らせる場がないからに違いない。施設を真に必要とする人達、あるいは家族のために、施設を廃止することはできないだろう。ただ、社会の中に、障害をもつ人達を受けとめる制度・サービス、人の優しさがあれば、より人間らしい人生を享受できるハズなのに、それができていないということは、社会が、人の心が、彼らを施設に追いやっていることに他ならないのではないか。
社会は、障害をもつ人達を普通の人達と区別して扱い、施設や特別処遇様式を発展させてきた。障害をもつ人達が施設の中でいかに手厚く保護されたとしても、それが隔離や大多数の市民の無関心の上に行われていたのでは、真に障害をもつ人達の人格や存在が尊ばれていることにはならない。福祉は、過保護や特別待遇とは違う。障害をもつ人達があたりまえの人間として、普通の社会の営みの中に普通に参加していくことだ。ミュージカルという手法によって問いたかったことは、まさにここにある。
公募で集まってきた、25名の障害をもつ人達を含むキャスト100名、スタッフ62名によるミュージカル制作は、半年間にも及んだ。キャストの大半は、ミュージカルが初めてどころか、初めて障害をもつ人に接する人達であった。もうそれだけで、私達の目的の多くを達成できていることとなる。異なる人生観や価値観が出会うことで、おたがいが成長し合う過程が、ヤマほどにあった。
概して、障害をもつ人の生き方に、学ぶ点は多い。生きる力、生きる勇気、生きることそのこと自体の尊さ…。普通の人よりも、確かに時間を要すかもしれない。しかしそれは、普通の人よりも何倍も丁寧に、人生を送っているということ。人の世の辛さをたくさん感じさせられようが、それと同じほどの、あるいはそれよりも多い、人のあたたかさを知っている人。そうしたことに気づいた喜び、そしてその事実を多くの人達に伝えたいという、障害のないキャスト達の熱は、稽古を重ねる毎に高まっていった。
一方で、障害をもつ人達の心のなかにも、重大な変化が生まれてきた。障害をもつキャスト達は、社会との接点があまりにも希薄な人達が多かったのだが、ミュージカルに関わることで、同世代の、普通の人達の生き様や価値観に触れることとなった彼らは、人生のこれまでの軌跡、そしてこれからの人生のあり方を考えざるを得なくなったのだ。第三者の手によって危険から遠ざけてもらって、護られながら生きていくか?それとも多くの傷を負いながらも、自分の自叙伝を自分自身で書き始めるか?
自然に、そう…、ごく自然に障害をもつ人達に接していく障害をもたないキャスト達。とてもムリだと思われていたが、稽古を重ねることによって次第に、それも信じられない速さで歌えるようになった障害をもつキャスト達。食するを忘れ、その準備に幾つもの不眠の朝を迎えたスタッフ達。障害をもつ人達の保護者からの、台本ではないノンフィクションの話の数々…。涙、焦燥、情熱、使命感、そして笑顔…。おたがいを分かり合う過程、分かり合えた喜びに溢れた半年間が、そこにあった。
そして、公演当日を迎えた。快晴。春の風は強いものであるが、この日ばかりはその風も、桜の花の間を遠慮がちに通り過ぎる。公演の模様を克明に伝えることのできる余紙のないことが、残念だ。1600人収容する会場は、立ち見が出るほどの大入り。そのなかで、歓喜と湧き上がる大きな共感が、会場を支配した。もしかすると、社会が動き始めるかもしれない…、そうした予感を感じさせるに十分だった。人と人、それぞれ違った個々人が、立場を超えて、理念や価値観を超えて、おたがいに分かり合えること以上の喜びがあれば、どうか誰か教えて欲しい。
「これからもボランティアを続けたい」、「グループホームをつくろう」、「いや、自立生活支援センターを先に」、「できることが自分にもあるってことがわかった」、そして…「し・せ・つ・を・で・る」―。このミュージカルは、多くの土産を残してくれたし、私達が競争と優劣、利便や効率を過剰なまでに追い求めてきた20世紀のなかに置き忘れてしまった大切な忘れ物を、キャスト・スタッフ、そして満場のお客様に届けてくれた。
折りしも21世紀は、「共生の世紀」と言われる。人はそれぞれすべてが違った個であり、個々がその違いを認め合い、それぞれの人権を高いレベルで尊重し合えたときに初めて、障害の有無にとどまらず、価値観や文化観・肌の色・宗教等の違いを乗り越えて、共に生きようとする対等の生活原理が生まれてくるものと信じたい。
難しい? いや、決してそうは思わない。人間の長き歴史を回顧するとき、ボランティア・市民の活動が、どれほど多くの奇跡を成し遂げてきたことだろうか。政治・経済・文化・社会システムが制度的疲労をきたした時代において、その混迷を抜け出し、未来を開く新しい回路を示したのは、いつの時代にあっても、自律した市民活動であったと信じたいと思う。
障害をもつ人が人間らしく生きていくために、たいへんな努力を必要とする社会が、普通の社会であっていいハズがない。社会が、さまざまなタイプと個性をもつ人達で構成されているのならば、社会はすべての人達に対してその門戸を開く必要があるだろう。社会が、障害をもつ人達に少しだけ接近していくこと…、障害をもつ人を含めたすべての人達が輝いて生きていける町を創るために、一人ひとりにできることを発見し合うこと…、そして、障害をもつ人達の痛みを共有することを通して21世紀を「共に生きる」という、旧くて新しい価値観で満たすことのステキさを提案したい。
愚鈍なる私達の試み…、まだまだ、続けていくつもりだ。
Minna de Company
10年の歩み(主唱:徳山市社会福祉協議会)
No.1 1992.3.20
「みんなで走ろう!42.195キロ。」○障害をもつ人、もたない人、515組のタスキリレーによるフルマラソンの走破。それぞれの力を距離に、42.195キロを社会全体にたとえ、一人一人が掛け替えのない存在であることを表現。
No.2 1992.12.9
「みんなで歌おう!12月9日。」○障害をもつ人達、福祉関係者、ボランティアとで、将来への提言とした「検証!国連障害者の10年」を発表。同時に、障害をもつ人達の夢や願いを歌に託した音楽祭を開催。
No.3 1994.3.20
「市民ミュージカル"たとえばボクのそばにキミがいてくれるなら"」○障害をもつ子ども達が抱えるそれぞれのライフステージでの社会的諸問題とその克服の提案、あるべき社会像を描いたミュージカルを制作・上演。
No.4 1995.3.20
「神戸の障害者を救え!〜"がんばれKOBEチャリティコンサート"」○「阪神大震災」で被災した障害をもつ人達を救おうというコンサートを通して、ハンディを抱えるマイノリティの人達の存在を提起。
No.5 1996.3.20
「ろうあ者に笑いを!〜"落語家・古今亭圓菊の挑戦"」○TVドラマから起こった空前の手話ブームの中、手話の永遠化と、聞こえない人の存在を明確化することを意図した、手話落語の第一人者・古今亭圓菊氏の独演会
No.6 1997.3.20
「偏見は知らないからこそ生まれる〜"あなたの知らない世界"」○障害をもつ人達が偏見の対象者となり得ていることをとらえ、重度の障害をもとうと普通の人間でありたいと行動してきた松兼功氏の講演会を開催。併せて、周南地区の福祉関係者により実施された「スウェーデン福祉社会体感ツアー」の報告会を実施。
No.7 1998.3.20-22
「Your Drea夢 comes true!!」○人生のさまざまな場面で狭い選択を強いられ、ささやかな夢さえ叶えづらい、あるいは夢を抱こうにも抱けない環境のもとにいる障害をもつ人達の夢を、多くの市民の手によって共に実現させた。
No.8 1999.3.20
「ともだちになりたい」○知的な障害をもつ人の幸せは地域社会との関わりの中にあることを、北海道伊達市の先駆的な取り組みの紹介、映画「奈緒ちゃん」の上映、知的障害児者託児「みんなで遊ぼう」の実施によって示した。
No.9 2000.3.20
「目の不自由な人達とみんなで登る太華山"あの山に登れ!! "」○目の不自由な人達の登山をサポートすることを通して、たとえ目が不自由であろうとも、ほんの少しの支えがあればいくらでも普通に山登りができるという新鮮な驚き、そして同時に、障害をもつ人達の社会参加には、少しの社会的サポートが必要であることを提言した。
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