音楽グループ紹介
自然生クラブ
クラブEKO広報誌「ブレティーネン」No15 1999年10月発行 掲載記事
柳瀬 敬 茨城県・つくば市
自然生クラブ プロフィール
自然生クラブは、さまざまなハンディをもった若者たちの共同体です。筑波山麓に一軒の農家をお借りして共同生活をしています。現在、4人のメンバーと3人のコワーカー、それに2人のボランティアがホストファミリーと共に暮らしています。仕事は有機農業をしています。生産された米や野菜は、地域の約100軒の家庭に直接宅配されています。逆に家庭からは生ゴミを回収し、堆肥づくりに利用しています。
有機農業は環境運動として発展することをめざしています。炭焼きやビオトープづくりも始まりました。一方、農的生活から生まれた感性は、太鼓を通して表現されます。私たちの太鼓は、日本の伝統的な太鼓を基礎としながら、東南アジアの民族音楽やジャズなどの要素もとりいれた創作太鼓です。型にとらわれることなく自由に表現される太鼓は、人の魂に直接語りかけるようです。子供たちも参加して、ワークショップも開かれています。
(1990年設立/代表 柳瀬 敬/茨城県つくば市臼井1643)
私たちが望んだこと
1994年のEKO日本ツアーの時、私たちはつくばで共演させてもらいました。福祉先進国スウェーデンから知的障害をもつ人達の、プロのロックバンドがやってくるということで、まちの福祉団体は活気づきました。そして、マスコミ関係者や市会議員、主婦や会社員、学生などいろいろな分野の人が、呼びかけに応えて実行委員会に加わりました。それはとても活気のある委員会で、それぞれにプロフェッショナルな人も加わっていましたから、一つのコンサートをつくっていくことの大変さや楽しさをよく実感できたのです。そして、福祉にかかわる人は、このコンサートをきっかけに、一気にノーマライゼーションの考えが広まることを期待しました。私たちも、実行委員会に参加しました.。話し合いの中で、自然生クラブのメンバーは、目を輝かせたのです。自然生クラブは、すでに地域での演奏活動をしていました。92年には、今の演奏スタイルの基礎となるコンサートをひらいていました。しかし、EKOとの共演はたくさんの人に私たちの活動を知ってもらう大きなチャンスでした。そして、コンサートは大成功し、自然生クラブのメンバー、スタッフ、そして家族も感動の涙を流したのでした。「私たちにもできるかもしれない」という望みがわいてきました。その時、私たちが望んだことは、なんだったのでしょうか? それは「ハンディがあっても、なくても、同じように表現活動ができる」ということでした。
望みが道となってゆく
1995年。EKOコンサートの実行委員会で知り合った仲間で、自然生クラブのコンサートを東京で開こうという計画がもちあがりました。メンバーも、舞台での自分たちの表現に自信を持ち始めました。大勢の人の前で力いっぱい演奏することは、自分の存在をかけた大仕事のように思えてきたのです。われんばかりの拍手と賞賛、励ましを彼らは素直に受け入れました。実行委員会では、このコンサートを福祉大会のようにしたくないという意見が出てきました。障害者がここまで頑張りました、という見方をしてほしくなかったからです。ありのままの表現を、存在をかけた表現を、どううけとめてくれるのか、やってみようというのです。「ハンディがあっても、なくても、同じように表現活動ができる」ということを示せばよいという考えでした。プレイガイドに出し、チラシをくばり招待券でなく、一般チケット販売するという方法は、冒険でした。ただ、舞台のスタッフはプロフェッショナルで、大掛かりな舞台装置と、共演するダンサーは一流でした。強烈なスポットの中に、メンバーは存在をかけて飛び出していけばよいのです。コンサートは大成功でした。「もしかしたら、出来るかもしれない」と思ったことが、実現したのです。その日、会場の朝日生命ホールのロビーでは、コンサートの後、お客さんとあちこちで抱き合い号泣するメンバーの姿がありました。アンケート用紙には、感動の文字が踊りました。私自身、そこで起こった感動に、感動したのです。
スポットライトのあるところ、ないところ
東京コンサートのビデオが、意外なところで反響を呼びました。96年リトアニアで知的障害者の演劇祭が行われるのだが来ないか、という誘いが来たのです。私たちは、驚きました。海外公演が実現するということは、夢のような話でした。国際演劇祭ということも魅力でした。当時、ソ連から独立間もないリトアニアというバルト海の国も魅力的でした。国際交流基金の助成を受け、私たちは、空を飛んだのです。
リトアニアで見たものは、中世の薫り漂うリトアニア人のヴィリニウス旧市街と、それをとりまく旧ソ連のロシア人がつくった高層アパート群でした。私たちは、まだ独立戦争の時のバリケードが残る国会議事堂前の広場で、そして、街の旧い劇場で、太鼓を演奏しました。私たちの他に海外からはデンマーク、ベルギー、イギリスから演劇グループが参加していました。そして、リトアニアの国内からもたくさんのグループが参加していたのです。私たちは、日常的に演劇を楽しみ、ロックバンドをやる彼らの姿に驚きました。その表現活動の奥行きの深さに圧倒されたのです。しかし、この時一番の驚きは、言葉の通じないもの同士が、ごく自然に、普通に、その場にいて、何やら通じあっているのです。なにか、コミュニケーションしようと一生懸命なのです。その人の輪に自然生クラブのメンバーもいるのです。私は、表現活動という言葉の意味をあらためて噛みしめました。スポットのあるところ、ないところ、関係ないのです。
大切なこと
私たちは、リトアニアで新しい仲間をつくることができました。97年にはデンマークの演劇祭に招待されました。98年には、イギリスの仲間から招待をうけ、逆に私たちは、つくばで国際演劇祭を企画し、海外の素晴らしい演劇を紹介したのです。
EKOとのであいから5年の間に、自然生クラブは貴重な体験をしてきました。それは、私たちが望んだことを遥かに越えたことでした。こころが通じあうということが、大切なのです。人の最も根源的な表現活動が大切なのです。それは、スポットがある、なしに関係なく、こころで通じあおうとすることなのです。もちろん、障害なんて関係ありません。私は、神様が人間にその能力をあたえてくださったのだと感謝します。愛すべき自然生クラブのメンバーは、こころで通じあえる喜びを知ったのです。スポットの中で、向こう側で、いたるところで。
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