連載:ハビリテーション




クラブEKO広報誌「ブレティーネン」No.13 1999年1月 掲載




身体障害における子どものハビリテーションの歴史、発展及び組織(抄録)
その1

By: ボー・ビッレ、インゲマル・オーロフ
出版社: アルムクヴィスト&ヴィークセル

 

§ハビリテーションの定義

 成人や年長の子どもが障害を持った場合、人は様々な治療方法で、以前のような生活や行動へできるだけ再適応できるように訓練をする。これをリハビリテーションという。

 生まれつきの障害があったり人生の初期に障害を負った子どもを訓練する場合は、これは「再適応」とは言えない。そうではなくて、子どもができるだけ普通の生活が送れるよう「適応」させようとするハビリテーションが可能となる。ハビリテーションという概念には、医学的、教育学的、心理学的及び社会的観点から早期に障害を負うことになった子どもへのあらゆる支援が含まれる。


§歴史
 

1940年代

 現代のリハビリテーションは、恐らく、第二次世界大戦の時期に生まれたと思われる。即ち194041年、ロンドン大空襲最中のイングランドで戦闘機の操縦士が大幅に不足した時、負傷した操縦士がすぐに再び空を飛べるように体系的な訓練が始まったのだ。そのリハビリテーションの結果は驚く程のもので、ハンディキャップを持つ人々を軍事産業や非軍事的な労働生活に組み入れる試みも効果的だった。心身両面の体系的な訓練の後には、彼らの多くは国土防衛において大いに貢献をしたのである。

 戦争終結後の1940年代後半には、イギリスとアメリカで、成人のリハビリテーションの経験に基づいて、ハンディキャップを持つ子ども、とりわけ脳性麻痺の子どものケアが行われるようになった。

1950年代

 スウェーデンでは、1950年代に入りようやく新しい治療の概念に関心を持たれるようになり、家庭や施設で隠され忘れられていた子どもたちに、理学療法による治療や新しい原則による刺激的な知能トレーニングが施されるようになった。そして、多くの場合、考えられていたより多くの能力や発展の可能性のあることが分かった。現代の子どものハンディキャップ治療が始まったのだ。

 この頃、大学都市や多くの地域中央病院の小児科医も脳性麻痺の子どもに関心を抱くようになり、理学療法士がこのような地域的な活動に携わるようにもなった。中でも最も熱心だったのはエルサ・ロベットソンだった。彼女はすでに1949年に脳性麻痺の子どもに関心を抱き、彼らの治療の仕方を学んだ。彼女は全生涯を通じて国中をとび回って講演を行い、自分の得た知識を教え広め、医薬庁(のちの社会福祉庁)の指導のもとに啓発の講座を開いた。

 1950年代は子どものハビリテーションにとって開拓の時期だった。この模索の時期には病院の小児科と結びついた小さな治療チームが設立され、同時にハンディキャップを持つ子どもの親も早くからこれに関わり活動の発展に大きく寄与した。

 イェーテボリィでは、脳性小児麻痺の子どものために作業グループが設けられ、活発な活動が続いた。そして1955年、イェーテボリィに「親の会」中央委員会 が設立され、これがのちの身体障害者全国連合(RBU)になった。この中央組織と地域単位の「親の会」は、やがて、とりわけ国や地方レベルで政治家や行政担当者に情報を与や影響を及ぼす重要な圧力団体になった。

 イェーテボリィでの活動と同時に、ウプサラの大学病院には脳性麻痺患者の診察室が開かれたが、そこは神経学とハビリテーションの両方の要素がある。ストックホルムでも、いくつかの病院の小児科に小さな特別診察室が設けられた。

 1950年代の特徴は非営利で私的な様々な組織が強い関心を寄せ、脳性小児麻痺の子どもたちのハビリテーションの向上に大きく寄与した。

 1958年は、フォルケ・バーナドッテが国連の平和維持活動での仲介業務の最中にエルサレムで暗殺されてちょうど10年という年であった。彼が主任だったボーイスカウト連盟が脳性小児麻痺の子どもたちへの国の基金を作り彼の業績を称えようとした。ボーイスカウト連盟、スウェーデン赤十字、イェーテボリィ・キリスト教徒共助会に他の一連の国の組織もこれに加わり、共同して「忘れられた子どもから幸せな子どもへ」の標語のもとにフォルケ・バーナドッテ運動が始められたのである。この運動は、基金の面からも全国でハビリテーションの速やかな発展に大きく貢献した。

 フォルケ・バーナドッテ運動は、脳性小児麻痺の知識を広め、その原因や症状が国全体に良く知られるようになった。講演、テレビやラジオ番組、新聞記事などの広報活動を通して、このような子どもや、その家族への理解が市民にも政治家にも広まった。

 当初から資金の一部は取っておかれ、ウプサラで脳性小児麻痺の子どものための地区組織を作り、充実させる補助となり、財団も設立され、毎年、奨学金や再教育、研修旅行、脳性小児麻痺の子どもの研究への補助金を出し、これにより、後々、他の身体障害を持つ子どもや若者にも有効な手だてが施されたのである。  
       


特別連載:ハビリテーション

身体障害における子どものハビリテーションの歴史、発展及び組織 (抄録)その2

・1960年代


 1960年代は、「黄金の創設期」と言えるだろう。1962年、フォルケ・ベルナドッテ・ホームはウップサーラのアカデミスカ病院に譲り渡され、子ども専門の診療所の一部になった。初めは20床、67年にはさらに20床増やされた。
 1958年に始められた脳性小児麻痺に関する内務省の調査が60年に完成し、脳性小児麻痺の子どもや若者のケアと教育について、その後何年もハビリテーション確立への指針となった。また、すでに58年地域ケアについての調査が行われ、国によって7つの医療地区を導入することが法案に定められた。
 身体障害を持つ子どものためには、7つの地区それぞれに中核が必要だと考えられ、すでにあったイェーテボリィとウップサーラに加え、以後リンシェーピングに、また、70年代に同じような機関がエーレブロー、ウーメオ、そしてルンドにも創設されたのである。
 同時に県運営の地域的なハビリテーションセンターが急速に設立され、ハビリテーションチームに医師が加わった。
 医療面では、1960年代に2つの重要な出来事が起こり、それは子どものハビリテーションの発展に大きな意味を持つようになった。1959年から60年の2年間で、ドイツの鎮静薬、サリドマイドが登場した。妊娠初期にこの薬を服用した一部の母親が、とりわけ腕や足に典型的な奇形を持つ子どもを生んだことが明らかになっている。スウェーデンでは、このような奇形の子どもが2,300人生まれた。多くは整形外科学の技術を必要としている。このような子どもの治療は最初はストックホルムに集中していた。そして、ハビリテーション組織との協力により複雑な補助器具が治療にいつどのように導入されるべきかも分かった。
 この10年間に盛んに取り上げられた、もう一つの身体障害児は、生まれつき脊骨の曲がった子ども達である。以前はそのような子どもの80%が幼くして亡くなり、生き残った者は脳に重い損傷を受け、大きな脳水腫ができることが多かった。その頃から、外国にならい、そのような場合は、生まれたその日に手術するようになった。脳水腫は大きくなることも多いが、のちに排液管(ドレーン・排膿管)を使って手術ができるようになり、生存の可能性が劇的に増大した。
 このように、ハビリテーション組織が次第に増加し、脳性小児麻痺の子どもだけでなく、身体障害を持つあらゆる子どもや若者、先天的あるいは後天的な、筋肉の病気、関節の病気、そして他の損傷を持った子どもに、ハビリテーションを提供できるようになっていったのである。「CP(脳性小児麻痺)ケア」から「ハビリテーション」になったのである。このようにハビリテーションという名称は始めから様々な身体障害を持つ子どもだけに使われていた。
 学校教育は、医学についてと同じぐらい重要なこととして常に注目されている。その多くの場合、子どもの発達の初期段階に関わってくる。1962年、身体障害を持つ児童にも適用される学校政策が導入され、「CP学級」は特殊学級として認められた。最初のCP学級は健常者の通う普通の学校に移された。
 1962年には、CP学級の教師を対象に特殊1年間の養成が初めて行われた。1965年学校管理庁は身体障害を持つ生徒の相談員をおくことにした。また67年からは、学校で援助が必要な生徒のパーソナル・アシスタントに、国からの補助金が出ることになった。1967年には、イェーテボリィに国立身体障害者教育補助器具センターが設立され、1966年にはハンディキャップ学の教授職ができ、S.O. ブラットゴードが初めてその職に就いた。
 理学療法士は1969年に特別ハビリテーション部門を設立し、数年後には、幼稚園教諭、言語聴覚士、心理学者の団体が作られた。さらに1961年に身体障害者教育団体(FUR)も設立された。北欧諸国でハビリテーションを担当する医師は1963年に北欧神経小児科協会を作り、協会は毎年、それぞれの国で会議を開いているのである。<つづく>


(広報誌への連載は継続する予定でしたが、種々の都合によりこの回で掲載が途絶えてしまいました。)


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