施設入居者の人権を考えるセミナー
東京都施設サービス評価事業本格実施に向け何をすべきか?
スウェーデンのオンブズマン制度より学ぶものは何か?
日時:1999年2月12日(金)
場所:シニアワーク東京
主催:人権を考えるセミナー実行委員会
共催:クラブEKO東京
出席者:田中藤太郎氏(東京都障害福祉部)
大竹真澄氏(友愛学園成人部園長)
池原毅和氏(弁護士、七生福祉園オンブズマン)
講師:ジェニー・オラウソン氏(スウェーデン
オンブズマン局調査員)
通訳・解説:大滝昌之氏(クラブEKO)
司会:大谷強(関西学園大学教授)
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セミナー開催にあたって
1997年、全国的な話題となった都外施設である「白河育成園」の事件を契機に、施設に入所されている障害を持つ人たちの人権について、社会的な関心も高まりつつあります。
東京都では、1996年7月に「施設のあり方検討委員会報告」として84施設全てに呼びかけ施設運営にあたっての一定の考え方を提示し、98年4月より11施設においてモデル事業として「施設サービス評価基準」を作成し、施設内部での点検や外部のオンブズマンによる評価などが既に取り組まれています。
東京都は、1999年度から1200万円の予算を立てて段階的本格実施を考えています。
白河事件での悲劇を二度と引き起こさないなめには、施設長をはじめ施設職員の自発的な取り組みは勿論ですが、施設利用者として当事者や保護者はどのような取り組みをすべきか、社会としてどのような視点で施設に関心をもって見つめていくべきか・・・。施設入所者の人権を確立していくためには、多角的見地から検証し、どのような施策が必要なのか、今から出来る事は何か、それぞれの立場から議論する必要を痛感しております。
今回、セミナーを実施するにあたり、98年度のモデル事業に取り組まれた11施設の中間報告や多くの資料を用意し、様々な立場の方々にパネラーとしてご参加いただき、99年度の本格実施に向けた多角的な情報を得られる機会にしたいと考えております。
人権を考えるセミナー実行委員会
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施設入所者の人権を考えるセミナー、(抄録)
(1999.2.12、シニアワーク東京)
この記録は、田中藤太郎氏の「東京都の現状報告とモデル事業から本格実施に向けて」及び質疑応答の部分を除いた抄録です。
司会:大谷強氏
先程もご紹介しましたように我々関西の方でも、全国で初めて施設オンブズマンを設置するということで注目しています。東京のきっかけは東京都立施設の知的障害者の虐待についてであります。それは全国共通する課題でしょう。東京都はどういうことに手をつけて入所者の人権をどういう観点から考えていくのか関心があります。施設として取り組まれていくことは今後の第一歩になるのではないかと思います。
アメリカとかスウェーデンなどではこうした施設や障害者の置かれている実態を障害者自身が調査官と組んで渡り歩くという調査もしているようで、ぜひこういう東京都の障害者の人達が、自分が実験対象ではなくて自分たちも地域や他の施設、大阪なんかにも来ていただいて、「東京でこんなことやってたぞ、大阪の人はどうやってるのか」ということをぜひ言っていただきたい。調査点検活動から当事者活動について今後進めていただけたらと思います。東京都の方から本当にお忙しい中来ていただきまして、ポイントをかいつまんだ報告いただきまして、司会者である私も含めてよくわかりました。本当にありがとうございました。
それではまず最初に実際にモデル事業を担当、実施されました大竹真澄氏から、20分ばかりモデル事業の報告を施設の現状と調査、やった中での課題とか、今後への展望というものを含めてお話しいただけたらと思います。それではよろしくお願いします。
大竹真澄氏:
それでは、サービス事業を受けた施設側としてお話をいたします。先程、カドイさんの方からもありましたけれども、サービス評価事業を私個人としても施設側としてもこれを行うということについては非常に評価をしております。しかし現実にこれをどういうふうにやるかということなると、かなりいろいろと内容ではもめました。
1つは、オンブズマンを含めた問題として理事長の諮問機関となってくるということですから施設が勝手に誰々というふうに決められない、そうするとやっぱり理事長となると理事長はすぐに理事会を召集しますので、理事者側からなぜ友愛から選ばれたのかという質問もあります。趣旨は賛同するけどなぜ選ばれたのかというところで非常にやっかいな問題が1つは議論になっていました。
もう1つは職員側の方ではこれは勤務評定につながるのではないかという疑問がでてきています。とりあえずそういう様々な諸問題はあるにせよ、とりあえずこのサービス評価をやってみようということで合意を得たわけですけども、職員の方にはこれは私が勝手にやるわけではいかないので、ぜひ皆さんの職員側の立場から、自分の目で自分の施設を提唱してほしいということでお願いを致しました。
その結果、基本的には先程の結果と同じように、普通ですとBクラスにいかなければいけないんですけど、全くそこには届かずに、C評価が非常に多いという施設という形が出ました。このCという評価自体にいくつか疑問点もあります。先程、課長の方からもいくつか補足しておりましたけど、設問自体が非常にわかりづらいということと、もう1つはあまりにも幅広くてどこにこれを当てはめていいかという職員側の戸惑いがあります。
それともう1つは職員側の思いとして今までやっていた処遇、福祉とは対応の仕方をどういうふうに評価をして自分自身が評価をしなければいけないのか、戸惑いかかなりあったように思います。とりあえず、Bという評価は1つでもCの項目からBの項目が抜けるとCになりますので、そういう意味ではCが当然多くなっていくという結果はだいたい見えてはいたわけですが、当たり前のように職員の方でもBとCに分かれる設問が出たときにはCになっていくという結果になりました。
それと一番職員の方で問題になっていました、先程も出ました弁償の問題とか様々な問題でそれぞれが意見をバァーっと書いてきてくれました。ただ、潜在的にその意見を見てみますと、やはり私たちが今までやっていた仕事の中身で‘ちゃん’と言ってなぜおかしいということが全然みんなの意識として持っている、なぜ‘さん’と言わなければいけないのか、この人にとってニックネームで呼ばれた方がいいということを前提として、自分たちの頭の中に入ってしまっているということがよくわかります。これを‘さん’と言うこと自体がなぜという疑問がかなりあるんだろうなというふうに思っています。
正直に言えば職員の意識をこのサービス評価をしたおかげで改革、変革、変えていくんだという意識が芽生えてきたことは事実だと思います。が、一番危ないと思うのは、例えば呼称の場合ですと職員会議の場合には、その利用者について‘さん’づけで呼びます。ただ、内情は、‘さん’づけで日常生活でやられているのかという問題が出てくるんです。これは非常にあやしいと私は思っていますし、廊下の方から声がよびすてでしているようなこともあります。ですから、この問題はどうも表面上の取り作ってしまう危険性というものがどこかにあるのではないかという思いがします。ですからそのへんをどのように施設が、施設長としても、職員の意識を変えていくかということは大きな課題になっていくかということになります。それと、先程も言いましたように設問の仕方が身障の人にも老人の人にも当てはまりますが、例えば、友愛学園の成人部は愛の手帳でいきますと一度と二度の人しかいないわけです。その人たちに対する設問の仕方が非常に配慮されていませんので、とてもじゃないけどこれは答えられないという問題がいくつか出てきています。ただ、重いからといって、重い人たち用の、障害が重くてもできる設問の仕方があるのではないかという感じは私はしますので、ぜひ今後補充施設を増やすときにはそういう混乱が起きないようにしていただければというふうに考えております。
次にオンブズマンの評価をする、オンブズマンを導入する、人選の問題が出て来ます。
これは最初東京都から出てきた例としては地域の人たちを入れろということ、専門性を持った人たち、様々な構成があったわけですが、参考まで言いますと、私の友愛学園というところは児童施設と成人施設があります。最初はオンブズマンを3人導入という形で東京都の方に報告されたんですけど、それは単立で成人でしたら成人しか持っていない施設、児童でしたら児童しか持っていない施設でしたら3人でいいんですが、複合的に持っている施設をどうするのかということで私の友愛学園では5名のオンブズマンを導入することになりました。
このオンブズマンを導入する時に、先程言いました地域の人ですとか、それを一体誰を地域というふうに指しているのかということになりますと、どう東京都の方は民生委員ですとか、そういう形はすぐ出てくるんですね。よくよく考えていただきますと、日本は施設というのは地域に開かれるようにしなければいけない。もしくは生活療、グループホームを開設すると評議委員会をつくらなければいけないとなっています。そこにも地域の人を入れるようになっていますので、そこにも民生委員の人も当然入ってくるわけです。そこで民生委員の人というのは、本当に地域の代表なのかという私は個人的に思っております。私と児童部の施設長と両方で相談をしまして、とにかくこの東京都の基準は参考としていこうということで、全く基準に合わない人たちをも入れることにしました。私は個人的にぜひ、市民というレベルで民生委員とか役とか何にも持っていない、普通の主婦の方、普通のおじさんの方でも入れていただきたいということで2名入れることができました。
それともう1つは、どうしても専門性云々という問題がどうしても出てくると思いますから、学校の先生ということで大学で実習に来られる学校の先生たちをお願いしようということで、ただ私たちも実習に来る担当の教員連中とは顔見知りになっていますので、これはまずいだろうという、その人たちが学校の中で推薦していただくという私たちとあまりにも関係ない人たちをお願いしました。それとどうしてもオンブズマンの仕事として、苦情処理の問題が出てきますので、その時は弁護士さん関係がいたらいいなというぐらいの気持ちでいましたら、弁護士さん自ら手を上げて来られた方がいまして、その人にお願いをいたしました。ただその5名の人たちの話を聞いても一体施設オンブズマンは何をやったらいいのかというのが出てきています。そういう意味ではオンブズマンというのはどうしても行政的な、行政に対しての監視とかいうようなイメージがどうしても強いのではないかという思っています。
私たちはそうではなくして、オンブズマンという今までの施設ではどうしても囲いの中で非常に閉ざされた世界を持っていたものですから、あくまでも市民として、ある意味ではノーマライゼーションというところの観点から、普通の感覚からこの人たちはどういうふうに生活をしているのかという評価していただきたいと思ってお願いをしたわけですが、なかなかオンブズマンの方々からすると、もっと細かくもっと細かくという気持ちもあるんでしょうけれども、そのへんは非常にやっかいな部分になってきています。というのはオンブズマンを導入するにあたっては、コンセンサスをどのようにするかという問題は、非常にに難しいと思っています。私の個人的な考えとしては、一方では専門性ということがあるならば、それはぜひ東京都の方から派遣をしていただいてもけっこうだと思います。私とかが、わざわざ見つける必要もないだろうし、私たち施設側からの理想は、普通の市民の方が見てここの施設での生活というのはどうなのかということを、私たちはもっと知ってもらわなければいけないと考えています。
それからオンブズマンの評価をこの間ずっとしていただきました。オンブズマンが泊まり込みというわけにはいきませんでしたが、1日中いていただきまして、基本的にはオンブズマンの方にはいつ来られても結構ですよという話をしたのですが、オンブズマンの人たちからの評価はやはりCでした。先程ちょっと甘いかなという新聞記事もありましたが、重度の施設ということもありまして、そういう意味では甘いという形ではなくてかなり辛めという形でうちのオブズマンはしていただきました。正直な話、オンブズマンと話をすると、オンブズマンの人たちが私たちの要望としては、これでしょうがないよねとオンブズマンが言ってもらうと、私たちはオンブズマンの役割をしないんじゃないかなという懸念を持っているわけです。そうならないようにするために、私たちはどうしなければいけないかということが出てくるわけです。
昨年から多摩地区にオンブズマン会議のネットワークをつくろうとの思いから、多摩オンブズマン会議のネットワークを今つくっており、そういう意味では勉強会をしていただくような素地を我々の方でつくっていこうという思いで、多摩オンブズマン会議をつくっています。といいますのは、オンブズマンが友愛学園の成人部の処遇はこれですと職員からも説明を聞く、実際に見る、これしかないかなと思ってしまったらば、それはそれで終わってしまうわけです。様々なオンブズマンの人たちが、支援の仕方とかそういう勉強をする時間が一方ではないわけですから、そういう意味では様々な施設ではこういう課題をどのように取り組み、そして取り入れてるのかという情報を、オンブズマンに提供していかなければいけないと思っています。それはオンブズマンの人たちが、施設で孤立しないような仕組みを考えていかなければならないと思っているからです。
さて、問題はオンブズマンからの意見が出てきた時に、AからDまでの評価です。ある意味ではAとDは非常に少なく、数値から見ても少なく出てきていますけど、そういう意味ではBもしくはCにみんな集中してしまう。ですから逆に言うと、友愛学園成人部がいい施設なのか、悪い施設なのか判断ができなくなってきてしまうのです。
やはり設定項目が4項目ということで評価するのではなくして、もう少し細分化をするなりして、例えば10項目の評価ぐらいにしていけば、それぞれの施設さんで当然幅が出てくると思います。友愛学園が4でしたら、Aという施設が6という評価が出てくるような仕組みにしていただいて、どういうふうに施設というのは評価をしていいのか、外部の人が来ても困るのではないかなという思いがしています。これもはオンブズマンの方からも言われています。
それからもう1つ施設側からいたしますと、当然CからB、BからAを目指すということは当然職員も意識をしていても、今までの福祉の施策の中で、例えば友愛学園は約40年の歴史がありますけれども、成人部は10年前に立て替えた建物ですから、4人部屋がベースになっています。でも、これを何とか2人部屋にしようという思いは職員全員が思っていても、現実的にはなかなか財政の問題とか様々な問題によってできない。それをどうしても放っておけばずっとランクとしてCもしくはBになってしまうというジレンマがあります。私たちはどうやってこれを改革していくために、どういう行政側からの援助を叶えることができるのかということをぜひ考えていただきたいと思います。ですから、一方ではこの設問の中で職員の質の問題ということで改善していかなければいけない問題と、ハードのことが根底から変えていかなければいけない部分と、キチンを分けていただいて、それに目標を持って進む施設に対してはやはり何らかの手だてを行政の方が考えていただかないと、とてもではないけどこの精神に教わっていこうと意志は職員の方もなかなか生まれて来ないと考えております。簡単ですけど終わらさせていだたきます。
司会:
どうもありがとうございました。いろいろ実態と、今後の解決していく課題がでてきました、次に池原さんのほうから、実際にオブズマンをやってみての経験とそれから、そこからでた課題等よろしくお願いします。
池原毅和氏:
七生福祉園で昨年からオンブズマンをおおむね10ヵ月位、半年ちょっと続けていますけれども、私どもの七生福祉園は児童と成人の両方の部があって、オンブズマンの数は全部で5人ということで、5人中、3人の方は知的障害のお父さんまたはお母さんですが、その中で一人の方は作業所を実際にやっていらっしゃる所長さん、もう一方は委員長をやってらっしゃいますけれども、お父さんですけれども長く養護学校の教員をやっていらっしゃって、校長先生をやって定年になっていらっしゃるという方ですね。それからもう一方はやはり、作業所をやっていらっしゃったり、相談員の活動をされている。そしてあともう一人は弁護士の私とそれから当事者の方、今日はフロアの方にも参加してただいていますけれども、障害当事者ご本人にもオンブズマンに加わっていただいているという形で進んでいます。
オンブズマンをやって、まだそんなに時間が経っていないわけですけれども、どういう良い点、あるいは問題点・限界があるのかということを簡単にまとめてお話したいと思いますが、良い点は何より一つは施設の中に、施設外の人が入って中を見るようになった、いわば公開性といいますか、施設というもともと風通しが非常に悪くて、密室的な空間の中で、時には暴力行為とか違法行為が行なわれていたという事件があったわけですけれども、そういう風通しの悪さ、外から見えないという閉鎖性というものが、少しオンブズマンが入ることによって開かれた、というのがとりあえず、そのオンブズマンが行なわれたことの一つ効果ということは言える。
ただこういう活動をしていても、いくつかの限界、あるいは問題点が短い間にも見えてきた。まず、その問題点あるいは限界の第一の点というのは、私達のオンブズマンとしての立場の曖昧さがある、というものが一つある。というのは、本来オンブズマンをやるのであるとすれば、純粋に中立的で第三者的なものだということが、相談する方といいますか、利用者の方からはっきりわかるような立場であることが必要だと思うですけれども、おそらく利用者の方とか利用者の父兄の、お父さんお母さんの方々から見た時に、私達オンブズマンは本当に中立的な存在に見えているかどうか、自分自身で疑問がある。というのは、七生福祉園の場合には、施設長から委嘱されてオンブズマンをやっているわけですけれども、それから極めて少ない謝金といいますか活動費ですけれども、そのお金ももちろん施設の側から出してもらっている。という形になっているし、オンブズマンの会議をやる場所も施設の方で手配している。非常にその施設の協力のもとに、そういうところに基盤をおいて私達は活動しているので、もちろん、決して施設側に立って物を見ようとは私達は思っていないんですけれども、そういう活動の基盤が、経済的基盤とか、あるいは選任されている根拠とか実際に活動をしている場所とか全部施設に基本を置いていますので、外から見た時にあの人達は本当に第三者的に中立的に動いてくれているのだろうか、というふうに思われてもやむを得ない部分というが出てくる。その辺のもう少し実質的な中立性とか第三者性というだけでなくて、形式面でもあの人達は確かに中立的で公正な判断をしてくれるんだろうと思えるようなシステムが一つは大事なんだろうと思うわけです。
それから二番目の問題点ですけれど、オンブズマンの活動の保障が十分になされていないということがある。一つは多少、下世話な話ですけれども、活動費というのが極めて低額なんですね、七生福祉園では1ヵ月1万円ということになっていますけれども、非常にある意味で具体的にたとえば、東京から、私が都心から八王子に行くだけでも結構な交通費がかかる、1ヵ月に2回なり3回活動することになるとこの1万円の活動費というのは決して十分な活動を保障できるものではない。だからもちろん、オンブズマンの仕事で生計を立てる必要はないわけですから、そんなにべらぼうに十分な活動費をよこせということはないんだけれども、しかし一般の市民の方がまあまあ活動が可能な、少なくても足が出ない程度の経済的保障をするということが一つは大事なんだろう。 もう一つ大事なことはオンブズマンに積極的な調査権限がないということですね、たとえば施設の事務所の中に入っていって、記録をひっくり返してみるとか、こちらからある意味で半ば強制的に調査をしていくというような権限はないので、常に我々が目にするのは施設側に「用意してください」と言って自主的に出してくれたものを見るという範囲にとどまっているわけです。ですから、そういうことになりますと、本当に重大な問題が起こっている時にはおそらく自主的に見せてくださいと言ってもなかなかそれは出てこない、「ありません」と言われてしまえば、ないと思えば、それで終わってしまうというところがあって、調査権限をかなりしっかりしておきませんと実際には何も見えない、何もわからない、うわべだけをさらっとさらって、いいとか悪いということを判断するしかない。実態をちゃんと調べられる権限が必要ということです。
それと関連してオンブズマン側の心構えになるのかもしれませんけれども、知的障害の方の施設とかあるいは痴呆性の高齢者の方とか精神障害の方でもそうですが、オンブズマンは受身の立場ではだめだということですね。つまり苦情を言ってきてくれるのを待っていましょうということでは苦情を言える人ならいいんですけれども、そこまでたどりつけない人もたくさんいらっしゃるわけで、こちらからむしろ掘り起こしていくというか、働きかけて行かなければならない。あるいは居室にまで場合によればこちらから「こんにちは」と挨拶に行ってですね、よくお話を伺うようなことがないと、事務室みたいな所に座っていて、この時間に来てくれればお話を伺いますというような体制では、ごく一部の人の話しか聞けない。それからもっといえば積極的で能動的な活動をするためにはやっぱり、利用者の方との信頼関係がある程度できませんと、1ヵ月に1回位行ってですね、「今日はあなたのお話を伺いに来ました」というふうに言ってみても、なかなかさらっと実は自分はこうようなことで困っているんだという話が出てこない。ですからそういう意味では日頃から信頼関係を形成するためには、かなり頻繁に施設に出入りをして、場合によっては一緒に遊んだり食事をしたりということも含めて、生活を少し一緒にする部分を作りながら、信頼関係とか共感する関係というのを積極的・能動的に作っていかなければならないということがある。で、そういう意味で言うとやはり月に1回2回のオンブズマンの出張では回数が少なすぎる。
それから3番目の限界あるいは問題点として感じていますのは、是正権限というか、何か問題がある部分についてこうしなさいとか、こうすべきであるというふうに勧告したり、あるいは是正させるという権限は特にこのサ−ビス評価基準に基づくオンブズマンにはないわけですね。ただ、サ−ビスの質がよかったよ、とか悪かったよ、というだけであって、悪かったよと言われても「悪くて何が悪い」と言われてしまうとそれきりになってしまうわけで、悪いものを「これは悪いのだから少なくても、いついつまでにこれ位の水準にしなさい」というような勧告ができたり、あるいはもっと強力な是正権限がありませんと、要するに評価しっぱなしという結果になってしまうんですね。今のところはもし評価が公表されれば、世論の批判を受けて直さざるを得なくなるだろうというあたりを期待しているのかしれませんけれども、やはりオンブズマン自身の権限として是正させることができるというものがないと何のための評価なのかということになってしまう、ということですね。
それから4番目の問題点としては 今までの問題点としては今までのお二人のお話からも何回か出ていましたけれども、このサ−ビス評価基準というのが具体的なようであって、案外その基準がそんなに明確ではない、基準の不明確性ということがあると思うんです。それと同時にその基準というのを権利というものとの関係で考えているのかどうかということももう一つ問題だと思うんですね。ただサ−ビスの質がいいとか悪いという問題ではなくて、サ−ビスというのは一定の水準以下になってしまった時、権利を侵害しているんだという、要するに違法なんだ、という意識でこの評価を見るか見ないかということがあると思うんです。
ですからそういう意味ではABCDEとか今までのお話でも10段階位の評価にしたらどうかというお話がありましたけれども、それと同時に最低基準という、この評価より下になったらこれがもうただ単に質がいいとか悪いという問題ではなくて違法なんだという、権利を侵害しているんだという、最低基準というのも必要だと思います。本来のサ−ビス評価基準とは最低基準を満たしていて、つまり違法ではないけれども、よりこういった方がいいよというのが本来サ−ビス評価基準としてあるわけでして、最低基準を切ったら、いいとか悪いではなく、違法なんだからそれは許されないことが本来あるはずなんですけれども、最低基準、最低のミニマムスタンダ−ドというんでしょうか、そこの部分のはっきりこれ以下はだめだ、これ以上であってなお、こうあった方がいいという、なんかその辺をもう少し、権利性をはっきりさせた方がよいのではないかな、というふうに思うんです。
それから最後5番目の問題点は、利用者の方とさらに利用者のお父さんお母さんからオンブズマンが苦情の話を聞くわけですけれどもその秘密性というかですね、苦情の相談の内容の秘密が十分に守られているかどうか、という問題があります。これは2つの側面があってまず相談を受ける場所がちゃんと施設の職員の人とかに筒抜けにならないような場所で聞けているかという、安心して話せるような状況が作られているかどうかという問題が一つありますね。場合によるとこれはつい最近やったことですけれども、施設外で相談を受けることが必要な場合もあります。一応部屋としては盗み聞されないような部屋を提供してもらうんですけれども、それでもやっぱり、そもそもその部屋に会いに行ったというだけであの人は何か文句があって行っているんだろうなというふうになりますから、おおむねわかってしまう部分がある。だからできれば施設外で聞けることとか、それから場合によればオンブズマンのところに個人的に電話をかけて相談ができる、そういう秘密性が確保されることが一つ大事だ思うんですね。で、もう一つ秘密の面でなかなか難しいなと思うのはですね、「こういう苦情が来ているんですけれども」と施設に言って「是正できないんですか」と話をすると「あ、あの人のことですね」とすぐわかってしまう。それもなかなか難しいところで、両刃の剣で、その苦情を是正させるために施設に言う時にどういうやり方をすればいいのか、下手をすると是正権限がこちらにはありませんから、「こういう苦情がありますよ」ということを言ってみれば、密告したのと同じような結果になってしまう。あの人は文句があるからまたこんなことを言っているんだと施設側が思われるだけ終わることになってしまっては何のための苦情処理か意味がなくなってしまうので、その辺の秘密の確保と是正をさせるためにはそれなりの言ったからには現状が変わるという何かがないと、なかなか難しいなというふうに思ったりします。
時間の関係もありますので、また何かあればご質問をお受けしますけれども、そんなところがおおざっぱなところです。
司会:
どうもありがとうございました。それぞれ、施設長の立場、それから実際に、オブズマンとして活動された立場から、現状と今後の大きな課題などが出てきました。
今まで私たちは平気でオンブズマンとか障害者の権利とかいう言葉を使っていましたけども、国際的な基準からみて、私たちが今ここで議論していることは、いったいどのレベルであるのかということを少し明らかにしたいと思います。日本の中でそういう取り組みを始めた、ようやく進めだしたこと自体が非常に重要なことなんですけども、今後の方向を探るためにも、外の国では具体的にどのような形でオンブズマンという言葉が使われているのか、また障害者の権利を守るために、どのようなシステムがあるのかという話を聞いて、現状とそういう到達水準に向かってどう動いていくかというような進め方にしたいと思います。
そこで、スウェーデンの障害者オンブズマンについてジェニ−さんの方からお話を伺いますが、オンブズマン制度そのものが日本とスウェーデンとは違います。スウェーデンでは法律に基づいた公式の制度になっているのに対し、日本では都が認めて各施設が行っており、同じオンブズマンという言葉を使いながら全然意味内容が違うように思います。
又、仕事の中身も違うのではないかと思われます。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー等、福祉のスカンジナビアモデルという社会的なサービスのしくみとその上に成り立ったオンブズマンというしくみについて基本的な枠組みについて話しを伺いたいと思います。
ジェニーさんの通訳を大滝さんが行いますが、単なる通訳ではなくスウェーデンのしくみ、制度、理念等を紹介しながら日本語に転換するというような役割をしていただきます。
特に秋山さんの場合はアメリカの知的障害者たち、ピープルファーストの運動やアメリカのADAを含めた知的障害者の権利擁護のシステムについて詳しいので、合わせて3人の方による国際的な権利擁護システムとは、どういうものなのかをレクチャーを受ける時間にしたいと思います。
大滝昌之氏:
これからジェニーさんにスウェーデンのオンブズマンについての制度や仕事内容を話してもらいます。
その前にオンブズマンという言葉ですが、まず、これはスウェーデンで1800年代にできた司法オンブズマンから来た言葉で、これがアメリカを通り日本に入ってくる間に、意味が違ってきているということがあります。又、現在日本でオンブズマンを制度として作りたいということについて、例えば、暴力とか行政のお金をチェックするとかいうことについて、オンブズマン制度の導入ということが言われているわけですけれども、日本とスウェーデンでは土壌が違うので、スウェーデンのオンブズマンは何をしているのかという説明を受けるとき、非常に分かりづらい部分がたくさんあるのではないかと思います。
例えば、日本に来た最初の日に、石井さんという衆議院議員の方、それから数名の方とお話ししましたが、そこで出てくる質問(スウェーデンのオンブズマンどうなっているのですか?)ということに対しての答えが、なかなか分かってもらえないのです。「あれ?それは、僕たちの考えているオンブズマンとは違うんじゃないか?」ということがたくさん出てきたので、ジェニーさんが説明をする前に、日本とスウェーデンでは福祉のシステムが違うので、その働きも全然違うということについて説明します。
具体的にどういうことかというと、スウェーデンでは権利を見守るということに対し、日本では人権侵害が起きていることが多いわけで、人権侵害が起きた場合どうするのかということが云われます。スウェーデンの場合、人権侵害についてそれを取り上げて訴えることもしなければ、直接それを暴露するようなこともしない。そうすると、オンブズマンは一体何をやっているのか?というのがわからなくなってくるわけです。スウェーデンの場合は、まず、責任の所在というのが法律によって明確にされています。社会サービス法という法律によって色々なサービスというものはコミューンが提供することになっていて、その提供の中には、日本に紹介されていないような、例えば、母親が疲れている時に、それを代わってくれるような交代サービスということも含めて、グループホームとかデイセンターとか、そういうことのあらゆるサービスが保障されているわけです。そのサービスが保障されていることが、きちんと守られているかということを監査している部分が多い。
ところが今の日本では、障害を持った方々が受けるサービスが保障されているかという基本的人権があるかというと、それが無い(無いとはっきり言えるかどうかわかりませんが)。それで、人権侵害を守るということが基本的人権の擁護であるというところにいる日本の方達には、それを取り上げる部分としてオンブズマンが云われてるのではないか、ということだと思います。
スウェーデンのオンブズマンの場合は国連で決定されました障害者の参画を平等に関する基準規則という位置づけがあります。(1993年)スウェーデンでは、それが守られるように監査している。見守っている人がスウェーデンのオンブズマン。つまり、スウェーデンでそういった国連の基準規則に書かれているようなことを行う場合において、例えば法律に欠陥があるとすれば、政府に進言したり、或いは法律の足りない部分を補うということが一つの大事な役目です。もちろん、届け出によって問題が来た場合に、そういうことで色々と相談というのかアドバイスをしていく方法もありますが、日本のように人権が侵害された場合、それを暴いていったり、例えば市民オンブズマンの(今まで大きなニュースになった)ように行政のお金の使い方を暴いたとか、或いは色々なところに行って賃金問題を暴いて、これを法律に照らして戦っていくというような、そういうオンブズマンではない。スウェーデン社会においての障害者の基本的人権の擁護というものは、LSSとか社会サービス法とか所謂、権利法というものがあり、一応、権利は守られていて、それが守られているように見守るのは監査局の全国レベルとか県レベルで監査をしていることですから、そこでやっているわけです。障害者オンブズマンは、そういう仕事はしていません。そういう所を、一応頭に入れてジェニーさんの話しを聞いていただきたいと思います。
ジェニー・オラウソン氏:(大滝昌之氏通訳)
ハンディキャップオンブズマンであるインゲルさんが35年前に障害者福祉ということについて関わり合った頃、当時はまたスウェーデンに入所施設というものがありました。それ以来彼女はストックホルムに移り、施設というものが閉鎖されるように働きかけました。そして、その後、パーソナルアシスタント法という法律を作成するのに非常に寄与されているわけです。この介助サービスとも呼ばれている法律は、非常に画期的な法律だったのですが、この法律により、機能障害を持った人達が日常生活を仕事の場、余暇の場とかという日常生活において普通の人達と同じ生活が出来るようになりました。それからスウェーデンの国家は1999年12月31日、全てての入所施設が閉鎖されるという決議をしました。
私はこれから、いくつかのスウェーデンの法律がどう変わってきたのか、という過程について、それから、機能障害を持った人達に関することがどう変わってきたか、ということについて話していきたいと思います。その中でハンディキャップオンブズマン(障害者オンブズマン)というものの働きを述べるつもりです。
当然、私は、その中で、国連の参画、機能障害者の参画、平等に関する基準規則ということについても、お話しなければなりませんが、私たちの役割というのは、その国連の基準規則というものを押し広めて、それが守られているように見守るのが私たちの役目です。それから、1994年に障害者オンブズマン法が出来ましてオンブズマン局が設置されてきてからのことを述べます。国連の基準規則に書かれていることを遂行していく為には、その国のしくみがどうであるかということが大事になります。その中でスウェーデンの政策というものが(社会福祉政策ですとか障害者福祉政策というものが)それに合っているものであるという伝統がありましたし、オンブズマンというスウェーデンの制度というものが非常に役立ちました。
オンブズマンというのはスウェーデンにある法律の補助的な役割をするわけです。スウェーデンにはオンブズマンというというのは司法オンブズマンの他に平等オンブズマン(男女平等に関すること)、消費オンブズマン、児童オンブズマン(子どもに関すること)、差別オンブズマン(人権に関すること)、障害者オンブズマン、というものがあります。
司法オンブズマン(日本語で議会オンブズマン)は、議会によって選ばれる人ですが、この他の5つのオンブズマンというのは政府によって任命されている国の機関です。オンブズマン同士の間では、この一つの問題が他の部分に重なることもあるものですから、(例えば、子どものことであるのか、平等のこと)そういう重複するような問題は他のオンブズマンと一緒に検討したり、或いはより適切な方にその問題を回したりすることもあります。
なぜ1994年に障害者オンブズマンというものが設けられたかというと、他のオンブズマンの分野でもそうですが、機能障害を持っている人達というのは、色々な差別受けたりすることがあるからです。もう一つの大事な理由の一つは、国連の基準規則というものがスウェーデンで守られているかどうかを監視するためです。
国連の決議が出された時も、専門委員会では、特に子どもで機能障害を持った人達、或いは男女関係のこと、それから精神的な障害を持っている人達の為の状況が1997〜2000年の内に改善されるように強く要望しました。
その為に1994年に障害者オンブズマンが設置された時には、特別に機能障害に対する問題が解決される為にスウェーデンの国家予算の中に1998年度、1999年度予算の中に特別予算案というのが組み入れられました。障害者オンブズマンの役割の第一次的なものは、機能障害を持つ人達の権利、それから利益、関心を見守ることです。目的は、機能障害を持つ人達が社会において完全に参画していること。それと完全に平等であること。それらのことを法律と見合わせてそれが損なわれている場合に障害者オンブズマンが出てくるわけです。
ハンディキャップオンブズマンというのは一つの国の機関で6年の任期を持っています。オンブズマン局としては10人の職員がいて10人のうち5名が法律関係の専門職の人達です。人数が少ないのですが、この人数が少ないために色々な専門職の方々と全国的にわたって連結しながらその働きを担っています。
その他にハンディキャップオンブズマンの周りには評議会、協議委員会というものがあります。特別な役割を持たないし、運営にも関わりません。これは団体の加盟ではなく、個人の資格で参画しています。当然、機能障害を持っている人達の権利を守り差別とか区別が行われていないようにする為には色々な役割があります。
ここで一つオンブズマンの仕事の中の中心的な実際の仕事である届出入れについて説明します。この届け入れが出るというのは、つまり、苦情が出ているということです。苦情の届け入れを受理しますが、昨年は149件あり、半数は改善されました。これは国にとって非常に大事なことで、この苦情を届け出によって、大体法律にもし欠陥があるなら何がどういうことで欠陥があるのかが分かる訳です。それで、その苦情届け入れされると相手の方に説明を求めるとかいうことを殆ど文書で交換することが多いです。もし相手先が満足するような答えを出さない場合、オンブズマンはそれに対し批判することができ、又、解決策を提示できます。もし、苦情が出た場合、オンブズマン側としては、法律に照らし合わせて、法律が間違っているとか、或いはその官庁とか機関とかいった所が間違っているという様な発言はしません。あくまで、機能障害を持っている人達の権利が守られているかどうかということを見守ります。
目的としては国連の基準規則がスウェーデンの法律でその基準規則を守っているかどうかを見るものですから、あくまでもスウェーデンの中で機能障害を持つ人の権利が守られているかどうかを法的に擁護されているかを見守っているだけです。コミュニティー(都市町村)が機能障害を持った人に対するサービスの責任を持っているわけですから、そこはオンブズマンが質問条項を出して、時にはそれについて答えなくてはならない義務を持っています。それからオンブズマンは、例えば、官庁ですとか機関とか、或いは一般の会社とか団体というものに対して交渉とイニシアチブ(主導権)を持っている。交渉の主導権を持って交渉にあたるようにします。
ここで苦情届け入れということから離れて権利というものを個人個人、インフォームしていくということに移りますが、個人個人はオンブズマンに相談できます。手紙や電話などで、もし何か問題があったときは、法律というものを(こういう法律があるという)情報を教えます。裁判の方法だとか、その苦情をどういう風にもっていくかということを色々教えてあげるわけです。
昨年度では、そういうようなアドバイスの件数が1,084件ありました。これは前年度に比べて40%の増加ですが、これを見ても、アドバイスに対する要望というニーズが増えているということが分かります。その他に、法律相談という形でインターネットのホームページに300頁に渡って、障害を持つ人達に向けてそういう法律的なサービスが受けられるように、いろいろな情報を発進しています。
オンブズマンの中心的な仕事の中に、現在の法律の欠如というものを見出すという、そういう国連の基準規則に、現在の法律がそれに合っているかどうかを見守るということがあります。
それによって、もし、機能障害を持つ人達の権利とか生活において、現在の法律がもし合っていないことがあったり足りないものがあるとすれば、それを整理していきます。で、その調査によって、いろんな法律ですとか機構機関に欠如があるのかどうかということが分かる訳ですから、調査というものは、私たちにとって非常に大事な仕事となります。例えば、不平等ということや差別されるということが出てくる場合は、その差別されているものの原因を探るということが大事ですが、調査によってそれをいろいろと検討して判断して、どこにその差別の原因があるかということに辿り着かなければ、その差別というのは無くなりません。
そのようにオンブズマンというものは、原因を見つけるだけじゃなく、その原因となるものをなくするための一つの解決策ということを見つける為にも非常に重要です。そして、国連の規則条項にあるように変えていくような解決策を見つけ、差別というものを無くすための解決策を見つけるということにおいて、調査というものが非常に根本的な仕事になります。
国連の基準規則というのは22章からなっているのですが、この国連の基準規則というのは、各国政府に対しての強制力はありません。強制力は無いけれども、非常に道徳的な国の意志というものを問われていますので、これは全世界的にそういう基準規則がひとつの基盤となるようにという意味を持っています。
障害者福祉政策の大きな目標の一つは完全な参画と平等ということですが、この国連の規則は非常にスウェーデンの社会生活にかなり密着しているわけです。それで国連の基準に関してはスウェーデンが主導権をとって非常に力を入れています。
この中に二つの重要なことが書かれていますが、それは、全世界中どこにでも一般的に言われている、所謂、機能障害という言い方ですね。機能の欠如、或いは低下ということ、それからもう一つはハンディキャップという考え方です。つまり機能障害というものは、周りとのなかでハンディキャップというものになるという考え方です。
機能障害というものが、周りとの関係の中でいろいろな差し障りが出てくる、ということがハンディキャップの原因になる訳ですから、いろいろな、例えば、社会生活とか教育とか、そういうもののあらゆる生活をおくるうえで妨げが無くなるということが、国連基準規則の目的の一つです。国連の条項の中でも、特に医療ですとかリハビリテーションとか、或いは介助器具ですとか介護サービスとかというものが、個人のニーズに合わせて行われることによって、個人と周りとの関係によって生まれるハンディキャップを、少なくしたり、或いは無くしていこうというものです。スウェーデンにおいては、このような考え方というものが、伝統的の社会福祉政策の中にありまして、それが、例えば、社会サービス法だとか、LSS法だとか、保健医療法だとか、アシスタント法だとか、というような一連の法律によって社会生活に表れています。
ここで私は、その法律がどのように変わってきたかということをお話したいと思いますが、それで、私が最初に述べました、障害者に対する政策の変化ということについての話ということにしたいと思います。
知的障害者という定義について言うと、定義というものが明記された最初の法律というのが、所謂、権利法というのが、1955年にできました。それが。1967年になりますと、援護法というものになりまして、いろいろなサービスというものを障害者が持つ権利として提供しなければならない、というように規定されるようになりました。で、1984年になりますとそれが新援護法という形になりまして、日常活動やグループホームでの居住が権利として明記されました。この84年に出来た新援護法というものが一つの大きな基盤になり、1994年にLSS、日本語で言いますと機能障害を持つ人に対するサービス援護法という法律が出来、知的障害を持つ人だけじゃなく、自閉症や自閉傾向を持つ人達、或いは交通事故などで成人になってから長期的な脳障害を持つことに至った人達をも含めるというようになりました。
84年の新援護法によって入所施設が解散することになりますが、94年のLSS法では、その日程が決められて、今年の12月31日をもってスウェーデンには入所施設というものが無くなります。
今までのことをまとめてみますと、私たちの社会政策の目標というのは、社会生活を送るということにおいて、障害を持つ人が完全に参画をしていくということ、それが完全に平等ということ、それが個人のニーズに基づくということです。このLSSの対象となる人というのは、先ほども申し上げたように、知的障害を持つ人達、自閉的な傾向がある人、成人期になっていろんな事故や病気などで脳障害をもった人達、65歳以下で老人病でない原因で、日常生活をおくるのに不自由を感じる人達全て、それから、長期的な精神障害を持っている人達、そういうのがこの法律の対象者です。
これは一つの権利法です。権利法ということはつまり、そのサービスがもらえない時は訴えることが出来るという事です。この保障されてるサービスには、いろんなものがありますが、個人的な法律のアドバイスということも含めて、日常活動ですとか住居のこと、それから、交代サービスと言われている、家族が疲れてるから代わりにやってくれるとうようなものも含めて、それから、他の場所で家族の人がちょっと用事があるのでいないから、ちょと一時的に預けるショートステイなど、一連のサービスが保障されています。
その中で大事なことにパーソナルアシスタントというものがありますが、これは1週間で20時間未満のサービスにおいてはコミューンが、また20時間以上の場合は国が社会保険の形でそのパーソナルアシスタントの給料を出します。そのサービスを決めるにあたって、個人プランというものを作り、それで、個人が一人一人がニーズが違うわけですが、そのニーズに合わせてそれらに必要なサービスというものを提供します。
所謂、地域に住む普通の市民には、福祉のサービスは社会サービス法によって提供されています。そのなかにあってLSSというのは、特に重度な障害、或いは、特に難しさを持ってる人達に対してのものですが、社会サービス法というのは、その他の一般の人達に対する社会サービスが保証されるということです。
その社会サービスの中には、医療や介助器具のサービスであるとか、アドバイス的なこととか、それから高齢者には、これはLSSの中にも入ってますけど、ガイドヘルプサービス、つまり外出する時にそのサポートしてくれる人ですとか、或いは介護サービスとか、掃除や洗濯などの家庭サービス、料理したりだとか買い物したりするのをサポートする、ヘルプするというのもあります。
このLSSと社会サービス法共に、個人ニーズに合わせてやるわけですが、そのことによって個人の参画というものが浮き彫りにされてきています。その社会サービス法にも、法のなかで与えられるサービスというものは質の高いものでなくていけないということと、それを行うサービス員というものは、資格を持った人でなければならないということが書かれています。
国連の基準規則の中には、各国政府はニーズを持つ障害のある人達に補助器具、介助器具というものを供給しなければいけないということがあるわけですけれども、スウェーデンにおいては、それが医療法の中に取り入れられていて、ニーズがあると認められた補助器具、介助器具は無料でもらえます。
国連の規則条例の中には、リハビリテーションの提供ということがありますが、リハビリテーションというのは復帰させる、元に戻すという意味ですけど、その中には機能の低下による、或いは欠如による補いというものを行うということもあるわけで、つまり介助器具とかもそういうものにあたります。
スウェーデンでは、このリハビリテーションの他にハビリテーションということも保証されています。ハビリテーションもリハビリテーションも、社会的なもの、教育的なもの、それから職業的なものにわたってリハビリとハビリが提供されます。これは法律の中でも言及されていますが、それらのリハビリ・ハビリに関しては、まず個人のニーズがあって、そういうものと、それに対して周りの社会でやらなくちゃならないことがある。
そして、それらを個人の視野という観点から、周りでどうやったらうまくいくかということの視点に移して考えていく。
これは、機能障害を持った人達が社会生活、仕事の内容とかにおいても他の人達と同じような機会が与えられるという、機会均等を考えるうえで必要なことです。
半分近くの私達へ来る苦情の届け出というものは、所謂、適応化というんですか、例えば、建物に入る時になかなか入りにくいとか、ランプが無いとか、学校に介助器具が揃っていない、そういう生活していく上で適応化がされていないということに対する苦情です。
基準規則の中には教育の平等化というのがありますが、教育においても平等に教育を受ける権利がある。教育における平等ということで、スウェーデンではどんな重い障害をもった人でも学校に入り、一緒に共学できるという権利があります。それが出来るために、例えば、教材とか、環境、学校の中の仕組みとか、施設のなかでのことですね、それが障害を持つ人に適応するようになっていなければなりません。スウェーデンの障害を持つ学童児は、学校の機会を均等に与えられていて、学校は統合化されています。統合というのは普通学校と一緒にあることですね。その他に、視覚障害であるとか聴覚障害であるとか、そういう特別な障害を持った人達はそれらの専門学校に行きます。
国連の規則条項の中には労働における平等、参画ということがありますが、労働については仕事の場合においても平等に行うということがうたわれています。この適応化ですか、障害を持った人が労働する上においての、それがうまく行くようにスムーズにいくような対応ということに対しては、まだ不足なところがありますので、それについてはいろいろ提言しています。
国連の規則条項には、最後になりますが、その13条の中に、そういうことを可能にしていくために、他の障害者の団体と協調していくことであるとか、或いは教育のことであるとか、それについての知識を深めていく、そういうことに対しての知識の向上をしなければいけないということがあります。他の、いろいろな各種の障害者団体との連結ということにおいていえば、スウェーデンは非常に昔から行われていまして、現在44の団体が国からの補助を貰っていろいろな活動をやっています。
最初にこの国連の基準規則というものが、各コミューンでどのように守られているかというような調査があります。1996年にスウェーデンの各コミューン(各市町村)に対して、各市町村がそれぞれ障害者福祉政策というものを持っているか、それから、それを施行していくためのプランを持っているかということについてのアンケートを取りました。それによりますと、半数に満たないコミューンが、それらの政策を持っていたということがわかりました。その半数以下しかいなかったコミューンのなかでは、3分の2のコミューンがこれからそういうふうな社会政策機関とかそういうものをつくるという用意があるということを回答しましたので、私たちはそれが非常に刺激になりまして、コミューンに向けての障害者に関するインフォメーションでもある「障害読本」というものをつくりました。
それから企業に働きかけて、会社の中で障害をもった人達に貢献するような製品を作っている会社とか、障害を持った人達を雇うことについて貢献した会社に対して賞金を与えるという、そういう広報もやりました。
それから、社会保険局におきまして、障害を持った人達の家族に対する保険金とか、他にもあるんですけれども、それを申請して受理されるまでにかかる時間というものが、どのくらいかかるのかというような調査もやりました。
また、仕事をやってゆくなかで、障害を持っているということでどんな差別があったかというような調査をしました。
今まで、私は障害者オンブズマンの仕事について話しましたけれども、スウェーデンではその他に福祉サービスに対する監査、監視をおこなっている機関があります。それは、社会庁ですが、監査庁みたいな性格で、コミューンでの社会サービスというものがちゃんと行われているかということを監査する機関があります。
その他に公共病院などですが、その病院による処置というものが適切であったかということを監査する患者委員会というのが特別な監査機関もあります。
私はハンディキャップオンブズマンというのがどういう役割をもっているのか、どういう地位にあるのか、ということについてお話をしました。法律というのは非常に大切なものです。それから、障害者オンブズマンというものも非常に大事です。一番大事なのは、障害を持つ一人一人が、いろんな場所で平等に参画して行くという目標を、毎日の仕事や生活の中で具体的に行っていくことが大切です。どうもありがとうございました。
全体会
分科会の報告
施設職員分科会:A
自分達が見聞きしている権利侵害はどういうものなのかということを出し合いながら、最終的に今回行ったサービス評価基準による自己点検なり、或いはモデル施設でいくつかやった施設オンブズマンを導入すればそれが解決できるのか、或いは、それでは出来ないのか、出来ない部分があるのかというところに結びつけながら話しをしました。今回、各施設でサービス評価基準により自己点検を行いましたが、それによって一定の、自分達の施設のおかしさについては、職員同士でも認識できたんではないか、という話が出ています。
多く出たのが、まず「ちゃん付け」の問題、ニックネームの問題、あと、職員数を優遇した姿勢配偶が未だに行われている問題等について、自己評価のなかでもはっきりしたんではないかと思っています。ただ、自分達の施設の中で、自分達が自己評価をするというなかでは、改善を考えたとしても、今までずっとやってきたことでもある訳ですし、職員の配置基準、男女比がこうなのだから難しい、利用者自身がそういう風に呼ばれることを今まで望んでいたんだからという、自分達の中での論議のなかではなかなか解決に結びつかない面というのが残っているのではないかという風に思っています。そういう意味からいうと、今回の自己点検については、最終的には自分達の評価をきちんと外の人間に見せると、で、外の人間が「え、施設ではまだそんなことやっているの」ということを言われることで、変えざるを得ない状況を作らざるを得ないのかなと言う風に考えています。やはり、自分達、施設職員が、介助を「する・される」という関係の中で、施設という集団のなかでは当たり前にしていたことについて、きちんと外の人間も批判なりを浴びることでしか変えられないのかなという、そういう側面もあるのではないのかと思っています。
あと、施設オンブズマンの部分については、私は日野療護園ですが、モデル事業として導入した中で、職員の中で一定の牽制的な役割というものは出てると言う風に思っています。ただ、施設オンブズマン、日野療護のオンブズマンの方というのは日野療護しか、やはりまだ見てないなかで、おかしいと思ったことが、オンブズマンが主張しきれない、他を見れないというなかで主張しきれないという面があって、あまい部分がでているのかなということも感じています。又、他の部分でよくでましたけれども、同性介護の問題、建物の手続き面での問題を施設長にもし言ったとしても、施設長としては、私一人の力ではどうにもならないのだ、というふうになった場合は、オンブズマンとしても、それ以上の解決策は関係としては今の状態ではないのではないかと思っています。
そういう意味では、午前中に話しがあったように、やはり幾つかの施設のオンブズマン達の話しをする中で、他の施設でも同様のことが起こっている中で、自分がおかしいと思ったことはおかしいんだなということが、確信できる必要もあると思いますし、配置の問題、或いは、建物、予算の問題についても、ある程度幾つかの部分が集まっていく中で、それをきちんと声として出していけるようになるんじゃないかなというふうな話しをしていきました。以上です。
施設職員分科会:B
Aグループと同じように、施設で行われていると見聞きした、或いは、実際にあった、自分の施設であった人権侵害を幾つかのパターンにまとめてみました。はっきりとした暴力ですとかレイプとかいった積極的な人権侵害と無意識に行われている言葉によるもの、意見を押し付けたりすることやプライバシーの無い部屋といったこと、それから上下関係、対等という意識が無い中でおこる上下関係を伴う侵害ということで、言葉の使い方とか、ドアをノックしないとか、はっきりしたものとそう認識されていないもの、それから最後に行き過ぎた管理から生まれる侵害という中で、お金の管理と鍵などについての侵害を挙げて、その原因となるものを挙げていきました。
集中したのが職員の質です。それから、個室化に踏み切れない財的な問題などの条件整備、もう一つには地域と関わりが持てない施設という地域との関係、それから介助者、同性介助が出来ないとか、そういった意味での介助者の問題。その問題をどうやって解決していくかということで、幾つか解決策をまとめてみました。
職員の質の向上をまず@に挙げていて、それは学習が必要ではないか、それから職員を育てる側、専門学校や大学の教育の在り方を変えていくべきではないか、それから、職員と利用者との関係を今までの上下関係では無く、自分が利用者の立場に立って、処遇というと上下関係がありますけれど、当事者性をもって仕事をしていくこと、そこから支え合う関係を作って行く、といったところが解決策ではないか。もう一つ関係することとしては、職員の配置、今まで人数が少なかった職員の配置、それからオンブズマンに結びついていくんですけれど、施設が近所付き合いを多くしたり、情報を公開していくことによって、風通しを良くしていって、こうした虐待を防いでいく。
他に出ていたのは、家族との協力、家族の協力をもっと得たいといったところや、本音で話されましたけれど、天下りの職員を入れないとかですね、施設長の質を上げていく、それから施設以外の仕事をさせない、施設に合わないと入れないとか、裁量について、もう少しコネでとかそういう事をやめて、施設の仕事に合うか合わないかということを考えて行くと。それから、社会的に解決されるべきではないかということで、就労の確保やハード面としての個室化とか整備ですね、それから、もっと現場の声を反映してほしいというところで終りました。
施設職員分科会C
Aグループ、Bグループと同様な部分がかなりあるんですけれども、うちのグループで人権侵害をどういうところに日頃感じているのかというところをだしてもらいました。大きく分けて二つのタイトルに分かれ、一つは職員のモラルという面、後は管理や制度的な側面、以上の二つに大きく括れました。
職員のモラルの方で出た意見は、「ちゃん付け」のこととか、後は暴力のようなもの、ようなものというのは、はっきりとした殴る蹴るとかそういうことではなくて、自分自身であまり感じないよう、ソフトな暴力、言葉とか動作とかそういうものが出ました。後は異性介助のことです。あと、職員同士の私語というのも出ました。以上のようなことで、どうしてそういうことが起こるのだろう、と意見を求めたところ、暴力のようなものについては、やはり、慣れや慢心、奢り高ぶり、そういうものが結構大きいのかなと。異性介助の問題では、職員の意識の問題もあるんですけれども、同時に職員の手の問題、職員数の問題も大きく関わっているのではないかと、そういう意見がありました。職員同士の私語、これは、かなり厳しいものなんですけれども、そこまで言わなくてもという反論もあったんですが、あえて厳しくしていきたいということで出ていました。こういうものはどうしたら解決できるのかというところで、一番手っ取り早いのは、オブザーバー、つまりオンブズマンを入れることがある程度有効性を持ってくるのではないかという結論が、この項目では出されました。それと同時に、職員自身の自己検察がとても大事だと思うので、研修したり、自分自身の資質の問題なんですけれども、自己検察していくことが必要かなと、そういうことが話し合われました。
管理の面についてなんですが、大きく分けて三つの点が話されました。主に私たちのグループは重度、最重度の利用者がいるところのグループなんで、出たと思うんですけれども、まず、管理の一つ目として、お金を管理するというところ、二点目として活動、食事時間ですとか入浴時間などの抑制がされているというところ、三点目、鍵を閉めて抑制を図る、抑制着を着せてする管理をするということとかが挙げられました。これら、三点については、それぞれ人権侵害であるとは思うんですけれども、解決方法を話した中で、施設の職場の勤務体制ですとか、職員の数のことを考えると、安全性などを含めると合理性にやっていて、なかなか難しいのではないのかというところになりました。そこで解決方法として、サービス評価基準としてオンブズマンを入れて行ったとしても、国や制度が変わらない限りはなかなか難しいのではないかとされました。サービス評価基準というものがあっても、先ほどの話しにあったスウェーデンのような国連にそったものが無ければ、まだ管理面にとっても変わることが難しいのではないかと言う話しがされました。
施設職員分科会D
自分達の施設でどういった人権侵害が行われているか、というところから、その解決策に至るまで話し合いました。
結果、四つの方法があるのではないかと結論を出しました。そのうちの二つは国の努力によって行われるべきであるとするもの、残る二つは事業所による努力で行われるとするもの、となりました。
まず、国の努力では制度面ですね。施設の役割の再検討をしてほしい、職員の配置基準の改善とかが挙げられました。もう一つが第三者の関与、オンブズマン制度の導入、施設のオープン化、が挙げられました。
事業所による努力については、一つ目、研修面の充実、これは職員の質の向上を図るために必要であると考えられます。もう一つは、人間に関わるという基本姿勢において援助の理念を施設を中心に明確化し、倫理綱要等の作成をするということが必要であると考えられました。それと今回のサービス評価基準について合わせて考えて下さいと言われましたので、考えたところ、まずこのサービス評価事業、これはまだまだ第一歩であるという意見が多く出ました。施設職員にとっては問題提起をされたというふうに捉えている方が多かったです。後は、これは、私個人の思いなんですが、様々な問題があるかと思いますけれども、精神障害者の人権に関しても合わせて考えていければいいなと思いました。
施設長・家族・学生・研究者・オンブズマン分科会
私たちのグループは、入所施設の施設長、利用者の保護者、学生、研究者、更生相談所の職員といったいろいろな方がいらっしゃいましたので、人権侵害の例というのも施設内の例だけではなくて、いわば地域の中でこういうことがあるというような事がかなりの数が挙げられています。それらのことの事例を、グルーピングしてみますと、体罰、呼称の問題、それから指導という問題、本人の意思を無視している、尊重しないということ、施設のなかでの生活システムの問題、服薬の関係の問題、年金・財産における人権侵害、それから施設のなかでも、具体的に言えば、本人意思を尊重すると言いながら放置してるのではないかという問題とか、地域のなかでも性的な虐待も含めた暴力の問題、それから同性介助の問題、これだけの数のグルーピングをして一つずつやってて、結果的に時間が無かった訳であります。したがって、その中の主だった物として四つが挙げられました。
一つは体罰問題であります。体罰問題の起因するんい主要な問題というのは、原因というのは何かというと、要するに人権意識の欠如と差別意識ではないだろうか、と挙げられています。ただ、施設の中で日々の業務の中で、結局集団生活といいますか、大勢の方を見なくてはいけない中で、個別の人に対する援助技術だとか方法だとかということが研修を含めて、きちっと確立がされてないのではないだろうか、という問題が原因に挙げられています。それから、体罰というものと、本人がパニックになった時とか押さえるということが混同されていることがあるのではないかということも言われました。例えば、地域の中で走ってパニックになっている方を押さえていると、他人からみればこれは、極めて人権侵害を行っているという風に見られてしまう、そういう事を含めて、体罰とごちゃ混ぜになっているのではないかという疑問も提示されました。それから、施設内の時間のゆとりの、或いは気持ちの余裕の無さが原因ではないという言い方もされています。それと根本的には差別意識、健常者の目でしか障害者を見ていない、障害を個性として捉えることがしきれない、そういったことが挙げられています。解決策として、一つ挙がったのは、施設の中では職員が全体で情報を、その方に関する情報ついて共有化をしていく、そして記録にきちんと残しながら全体で討論しながら、意思一致を図って行く、そういう作業をきちんとしていかない限り、この手の問題はなかなか解決されないのではないだろうかということがいわれていました。
次に大きな項目で呼称の問題があります。「何々ちゃん」から「何々さん」へという問題であります。ここで一番ひっかかるのは、施設のなかでの近しさといいますか、親しみ、相手もそういう事を望んでいるんではないかと、それが非常に大きなネックとして横たわっている、これははっきりしています。ただ、もう一つ言えば、職員の意識の問題も方にはあるわけで、サービスを提供するということと、指導というものはの関係というものが混同されているのではないか、ですとか、或いは、知的障害をお持ちの方そのものが、歴史的にもそうですけれども、何時まで経っても大きな子どもとして認識されている、しかも閉鎖的な社会である施設の中では、より一層そういうことがあるのではないだろうか。それと、公私の混同といいますか、どうしても施設で何十年も長い歴史のある施設ですと、私というものと公的な関係でサービスを提供しているということが、いっしょくたになってしまっているところがあると、だからこそ、この「何何さん」ということは、きちっと職員の方に対して強要しなければならないのではないか、強要といいますか、きちっとさせる必要があるのではないだろうか、という意見がでていました。逆に呼び方そのものでもって、関係性が規定される、職員として配属されて20才くらいの方が50才の方に、「何々ちゃん」なんて呼んでいることが当たり前になってというと、力関係、位置関係というものがそのことから規定されてしまう怖さがあるのではないだろうかという意見がありました。解決策としては、この際だから、きちっとやった方がいいんじゃないか、若干、いきなり変わってもちょっと具合が悪いんじゃないのなんていう意見もありましたけれども、総じていえばそういう事が言われていました。
それから次に、しつけと指導というものの関連です。いつまで経っても、しつけをしなければいけない対象なのかどうか、ということになろうかと思います。これも、職員と利用者の関係を如実に表わしていることです。ベースにあるのは何かというと、何々が出来る・出来ないということの評価ですね、評価に基づく社会構造が基本的に横たわってると。その事が、社会的なベースとしてあるんだというふうな言い方もされてました。それから相変わらず、施設はどうしても親御さんが亡くなってから、自立していくために指導する場なんだ、或いは根底の場なんだという意見も中にはありました。それから、お世話をするということと、サービスというものの混同ですね、それから援助技術の未熟さ、指導される人と指導する、そういう関係が社会的にずっと続けられてきた流れというものがなかなか払拭できないということがいわれていました。
次に施設の中での生活システムの問題です。本人意思の問題も含めてあるわけですけれども、本人の意思を無視しても、集団生活が最大の問題だという言い方もされていましたが、本人の意思を無視しても、無視した人間が被害を受けないシステムになっている、ということが挙げられると思います。無視してやっちゃっても、本人が多少文句言っても、別にどうということは無い、そういう構造があるということです。それから世の中全体が、これはもう社会的なベースなんですけれども、発言力の強い人がやっぱり生き残って行く、そういう人のための社会になっている、こういうことがベースなんだという言い方もされています。それから、知的障害者にいろいろその都度聞いてするよりも、判断そのものを代行してしまう方が、より簡単にことが運んでしまう、という問題がある。だから、問題として言われたのは、判断力が非常に弱いということ、意思の能力が無いと言う事、これをもう一緒にしているじゃないか、そのことに間違いがあるのではないかということです。判断力が不足しているからこそ、或いは弱いからこそ、きちんとした説明、時間をかけてやさしくゆっくり丁寧に説明していく、所謂インフォームドコンセントですけれども、その手続きを踏んでいるかどうかが重要になってくるのであって、そのことをもって意思不足とイコールにしてしまう、それ自体が問題なのではないか、という言い方がありました。いずれにしても、数多くのなかのグルーピングをした中で、限られたも時間ですのでこんなに簡単に解決策というものは挙げられないと思いますし、挙げられるほど不思議かなとも思います。若干私的な感じを申し上げますと、人権侵害というのは見ず知らずの人間同士が人権侵害するということは社会的な意識の問題とシステムの問題に介することができると思います。ただ、ここで挙げられる人権侵害な問題というのは極めて近しい関係の中で発生してることでありますし、それは整理をし辛いドロドロした関係なわけですね、そういう意味では原因はある程度もう大体出てくるのはわかるんですけれども、解決策となるとなかなかスパッとでない。その解決策そのものが逆に、また人間関係というのは非常にもっとこう利用者に対して抑圧していく関係になり兼ねない側面もあるのが、実はこう堂々巡りの議論の中になってしまいやすい施設の間柄なんではないだろうかということを感じました。
オンブズマン分科会
まず、他のグループと同じように人権侵害の事例について挙げました。言葉の暴力、体罰、拘束、規則と管理、が人権侵害になっているのではないか、社会的なつながりが制限されている、それから個性とか意志、本人の主体的な関わりを無視しているとか、それと、ちょっと特異的な例としては、恋愛問題で施設にいる人が外にいる人に**をかけたけれど無視されちゃった、とそういう例が話されました。一番これはどこにも共通している大変な問題だと思いますが、尊厳の無視、この人権侵害の事例はなんで起きるのかというということでもって、次に話し合いまして、まず、規則とか管理とかいうのでいうと、管理優先、施設が管理優先になっているということがあります。それから、安全性を考えたり、事故が無いようにとか、そういうこちら側のことが優先になっているのではないか、それから、職員の人の技量の不十分さ、質の不足さということも出されました。それから、施設の閉鎖性というところもこれもあって、こういうことがあるので人権侵害になっているのではないかといわれました。それから、当事者の参加、利用者本人の参加が無いということ、それから、同じようなことで、利用者主体のシステムがきちっと確立されていない、一番根底にあるのは差別意識というのが、一番問題になると話し合われたと思います。
それで、解決方法というところで、問題の原因というふうに繋がってくるところでは、施設の社会化とか公開性とかいうのが割合早く取り組まれるのではないかと。一番難しい、これは長期にかかりそうだというのは、統合教育の実施、それから施設の縮小、個室化ということでもって、施設そのものを縮小していったり個室化にしていくということと、それから、地域でもって多様な生き方を出来るように地域での受け入れ体制を作る、この辺は非常に長期的になるのではないかなと。それから、第三機関、チェック機関というのは、もうそろそろオンブズマン制度が出来てきているのもありますので、これは割合に早く取り掛かれるのではないか、ということでした。それから、職員の資質の向上について、これは、利用者主体という理念に向けての資質の向上ということをきちんと取り組まないとよろしくないんじゃないかと、現在の資質の向上とか教育の在り方というものに対して批判がでていました。それから、最後は難しくなったんですけど、以上の解決手段と評価基準、オンブズマンとの関係についてということでもって、解決方法を考えてみなさいということだったんですけれども、ここは、なかなか難しかったです。評価の公開性、評価をしたときに評価を公開することが大事である、という話しと、それから、オンブズマンに利用者の権利維持がされるんだという、そういう積極的意見と共に、利用者もオンブズマンとか評価基準のほうに、評価のところに関わるべきだという、関わった方が良いというお話しがでました。それから、ちょと問題が離れてしまうんですが、成年後見制度だとかオンブズマンについては官のものとか民のものとか、両方必要なのではないかとか、後、先ほど一番難しいといった人権教育、統合教育の推進、それから地域での生活を支えるということも、これも評価基準、オンブズマンとの関係からいうと、少し解決方法のうちになるのではないかという話しがでました。
評価の公開という話しで、ちょっと説明があります。情報公開のところで札幌で私ども「**を進める一万人市民委員会」というところで特別養護老人ホームの情報を公開をかけまして、福祉台帳と監査の結果を全道的に出したんですね、それで、ちょっとまとめて公表させていただいたところで、ただ足りないところを指摘するんじゃなくて、一生懸命やってるようなところを応援するような形の情報公開をしていくことによって、それぞれの施設の方のレベルも上がっていくし、当事者の選択権というものも保障されるんじゃないかなという風に思います。これが一つ私見で申し訳ないんですけど、施設側の職員の方と当事者の方の雇用体系をひっくり返すということが一番の早道じゃないかなという風に、私は常々思っているものですから、ここで一つ加えさせていただきます。
当事者分科会
まず、施設の人権侵害の問題としては大きいのは施設の職員の方の態度、怒られるとか、言葉使いを注意されるとか、やりたいことに反対されるとか、買いたいものを買えないとか、職員がいばってるとか、ご飯を食べるのが遅いと持っていかれるとか、そういうことですね。あと、もう一つは施設の規則みたいなことですね、買い物するときにはレシートを取らなければいけないとか、欲しいものが買えないということも、これを買いたいんですけどとか言って許しを得ないと買い物出来ないとか、後、会議の問題なんですけど、職員が色々決めてしまうとか、いうことがあります。あと、プライバシーが無いということがあって、特に職員同士で自分の知らないところで、自分のことが話されてしまっているということがあります。もう少し、構造上の問題ということで、普通の地域の介助だとだと介助者を選べるということがあると思うんですけど、施設では誰に介助してもらうか
とかということ選べないということ、気が合わなくても一緒にやんなくちゃいけないということがあります。後、好きなときにやってほしいことをやってもらえないということがあります。
後、利用者同士の問題として、利用者同士で揉め事があったりするとか、鍵が付いてないために物を取られてしまうということがあります。後、ちょっとまとめ方が分からなかったんですけど、一つは施設の入る時の問題といいますか、自分の意志、気持ちと関係無く施設に入れられちゃうということとか、自分の意見よりも親の意見とかが優先されて、施設をどんどん造れというような声が、そういうことを聞いて本人の意見は聞かれないということと、自立とか施設を出たいときに、その為の施設は何もしてくれないし、むしろ、外に出られないような感じで動いちゃうということがあるかなあという風に思います。そういうことが出ました。
一つ大きな問題として職員の態度とか、職員の会議の仕方みたいなことが半分くらい出ていました。それについて考えてみますと、その原因としては、職員が上に立っちゃう、同じような対等な関係じゃなくて、何か面倒見てやってんだ、というような感じのことがあるんじゃないかと。あと、職員の数が少ないから、例えば、これは介助者選ぶとかとも関係するんですけども、職員が少ないから好きなときに何かやりたいこと、手伝ってくれないとか、逆に、皆バラバラで動いちゃうと職員がお世話出来ませんから一辺に管理しちゃうことがあるんじゃないかと。あと、問題が、例えば怪我とかした場合、それが施設側の責任になっちゃうから、そんな問題が起きないうちに、例えば、高い買い物とかするとだまされちゃったりとかあるから買い物もさせないとか、そういうことになるんじゃないかということです。後は、皆同じじゃないといけないっていうこともあって、それが管理とかにつながっちゃうんじゃないかということです。
ちょっと話しが不十分だったと思うんですが、一つの問題として職員が対等でないというところで考えてみると、主に二つくらい、先ず職員の態度、職員が気を付けるというか、職員が自覚をしてちゃんと対応するようにするっていうことと、利用者の方が、例えばお客さん、普通に物を買う、店で物を買うような感じでお客さんになるとか、会社でいうと雇い主になって職員を雇うとかいう関係にしてしまえば、対等になるのではないかという話しも出てきました。職員が自覚するというのと、契約で関係をコントロール、本人が職員を使えるようにするという二つがあると思うんですが、職員が自覚すると言っても大変ですから、どうするかというと、教育をしたりとかオンブズマンを入れるとかいうことがあるのではないかと。ここでの評価基準とも関係するとすれば、ただ単純に基準だけじゃなくて、それを守らないと罰を与えるとかいうような決まりを作ってしまえばいいんじゃないかということが出てきました。この辺は、そんなに深く話しはしていないです。又、このじゃあオンブズマンはどうやって教育するのかっていう話しになると、またその先の話しになってしまうんではないかと思いますけれども。時間の関係でいうと、普段だったら僕はこういう合意の進め方はしないんですね。本当に今日は、上半分の問題を出すとか、そのくらいで終っても良かったかなという気もしましたが、それでもいろんな意見が出たんじゃないかなと思います。
司会:
最後の方も言われましたが、この集会で解決策にまで議論の中で進めて行くのは、非常に大変だと思います。そんなに安易に、2時間話して解決していたら、この30年間が何だったのかということになる訳で、ある意味では、そんな簡単にでるもんじゃないよということもよく分かります。取りあえず、そうしたことも含めて議論いただきました。分科会報告を聞いてますと、5階の職員の話しとこの下のフロアの当事者の話を一緒に議論したらもうちょっと面白かったのかなと思います。視点がそれぞれに違うということがかなり際立って見えたようです。時間があと20分ということで、あまり時間がないんですけれども、その他に今出た以外に、実はこんな大切な意見が出たんだけれども残っていたじゃないかというようなこと、或いは午前中の全体会のこと、パネラーの側に対しての質問とかご意見などもありましたら、お受けしたいと思いますが、いかがでしょうか?
今、発表された以外のことでも結構です。
発言者1:
僕は絶対に施設を国に作らせないという方向、これから国と詰めて行きたいと思います。施設を出たいという人が多いから、そういう人を出すピアカンとかやって出す方向を模索して、施設は国に作らせないという方向を追求をこれからして行きたいと思います。よろしくお願いします。
大谷先生:
お願いするんじゃなくて自分で模索しなければならないなと思いますけれども、もちろん、それぞれ呼びかけられたらどうかというのもあります。取りあえず、そういう決意表明がでましたけれども。
発言者2:
午前中の話しとか聞いていて全体的なことになるんですが、今言われた方は、自分自身の問題としてできます、そういう風に言っちゃいけないんですけど、私も同じようなところで、今日、朝から聞いていて感じたんですけど、スウェーデンと日本のっていうのは基本的なところが違うと思うんですね。一方では、もう今年施設という形、居住施設ですけれども、それが無くなってしまうというところでの、オンブズマンといわれてるものの持ってるものと、日本では、まだ何だかんだと言っても、施設というものが残っていたり、形は少しずつ変わりながらも、「ある」という中での問題というところでの整理を、できたら大谷さんの方から、基礎構造改革というものが、今、厚生省の方から出ているわけですけれども、それと、完全参加と平等という視点から、構造改革がどんな風な視点なのかという、どう進んで行こうとしているのか、というふうにお考えを持ってらっしゃるのかということを一つお聞きしたいなと思いました。もう一つは、スウェーデンの場合だと、人口密度の問題とか、東京くらいのが全体の人口ですから(850万ですね)、そこでかなり違いというのはあると思うんですが、日本だとなかなか制度、基礎構造改革ももう50年になろうとしているのになかなか変えられない。スウェーデンだと割と直ぐにいろんな必要なものは変えて行ける、どういう風な、大体どれくらいでそういう必要な制度とかいうことが変えて行けるのか、というふうな所を、細かいところはいいですけれども、どんな風になっているのかなという、まあ国の違いとかあるんですけれども、そこをちょっとお聞かせねがいたいなというふうに思いました。
司会:
そのあたりは後で。北欧では改革のスピードというか、こういう「あかんねん」というとこはパッと変えて行くことが多いように思います。まあ徐々に変えて行く部分もあるかと思いますが、それと日本のように「あかんねん」と言いながらグズグズ続いているところと違いがあるように私も思います。その辺を、システム改革の手法の違いをお聞きしたいと思います。
最後、それぞれ話し足りなかったところとか、その後分科会で出た話しなども含めて感想という形か、或いはこれからの課題、これからどういう風な方向で取り組んで行くのかということについて、それぞれお話をいただくということにいたします。
まず。大竹さんの方から、先ほど、分科会で出た意見などもありますし、これからの、いわば、オンブズマンなり、自己評価の活動をどういうところに次に続けて行ったらいいんだろうかと、或いはこれが本当に利用者の人権、権利を保障するシステムに、よりよくなるためには何が必要なのかというあたりで、考えられていること、少しお話いただければと思います。
大竹氏:
オンブズマン、これからどう展開していくかという問題と、今、ご質問のスウェーデンではもう施設を廃しして未だに日本では残っている施設を、答え辛い部分はありますけれども、いくつかあるかと思いますのでお話をしたいと思いますが。
まず、オンブズマンを今、導入したということについて、先ほどの意見もいくつかありましたように、やはりこれは職員側の意識としての改革というのは第一歩に入ったのだろうという評価はしていいと思うのです。ただ、これが先ほども言いましたように、単なる表面上の、表面面でオンブズマンが入ってるからうちはいい施設だということでは無いと思うのです。それが多分これからの、多分スウェーデンが施設を解体したのと逆の意味で日本はこれからも多分施設は必要とされる部分はどうしても出てきてしまうであろう、というふうに思っております。で、これは何故こうなるかといいますと、個人的な考えを言いますと、よく施設を作るときに、親亡き後、ということを親の方は言いながら、発言をされるんですけれども、どうも親の安心のために必要、施設をつくっているという構造があるのではないかなと思います。
本来、先ほども出ましたように、本人の意思はどうなのか、つまり、本人にとっての安心という施設作りというのはどうなのか、ということは、我々、今施設で働くものとしての現場が、視点を変えてその方向性に向かって行かなければいけないじゃないかと思っています。施設自体が無くなれば一番いい方向なのかもしれませんけれども、やはい今我々が突きつけられているのは、本人にとって安心できる施設をどういう風に改革していくかというふうに思っています。それと、もう一方で、やはり、施設と、日本の今の基礎構造改革等も含まれていますけれども、どうも、何かおかしいなというところがあります。
施設というのは、どうも健常者のための労働確保のためにあるのではないかという思いも一方ではしております。例えば入所施設、私の友愛学園成人部ですと、年間一人約750万、都立施設はン万というぐらいのお金で運営いるいる訳でありますが、それを放棄して彼らのために全部一人頭700万円渡してしまえ、という方法だってあるはずです。通所施設だって東京ですと300万近くかかってるわけです。それを一人一人渡してその人達がきちっとサービスを受けられる方法を施策していくという手だってあると思うんです。
そういう、これからは、発想を全て変えて行かないと人権を含めて根本的にはなかなか解決して行かないのではないかなという思いがしています。一方で、スウェーデンと日本とまあデンマークもそうでしたけど、一番大きな違いは、じゃあ彼らが今地域に出て、本当に地域で生きられるしくみが出来ているのかということを、もう一度構築しなければいけないと思うんですね。そこでただシステム、ハード面を作れば良いということではなくて、そこで、彼らをきちっと支援できる援助職員がじゃあどのくらいいるんだということになると、大変悲しいけれど、今日本ではお粗末な限りだと思ってるんですね。そういう意味では厚生省がヘルパーの人材養成云々ということでは良く出ますけれども、こういう障害を持ってる方の支援をする人達の質を上げて行く、又、量を増やして行くということにも、我々は施設内の職員の研修だけではなくて、施設の中で働いている職員が地域でも十分通用するような研修をこれから積みたてていかねばいけないという風に思っております。
司会:
施設という場で働くんじゃなくて、障害を持ってる人達と共に働くという風に、働く場について考え方を変えれば、別に施設に拘らなくていいんですけれど、今まで何か場所に働くという、施設に働きに行っている、とか言ってそこから出ない。そうではなくて「どんな仕事をしているんですか?」という訊ね方と答えをする。働く場所は施設でなくてその人の家であるし、地域であっていいんじゃないかなという風に私も受け止めましたが。
オンブズマンとして先ほども、幾つかの悩みとか課題をお話いただきましたけれども、池原さんがこれからもオンブズマンとしてどういう方向で権利擁護のシステムとして解決するだろうということで、何かご提案あればと思います。
池原氏:
勿論、いろいろあると思うんですけど、取りあえず二つくらい申し上げようと思うんですが、、一つは、日本では障害のある人にどういう権利があるのかとか、逆に障害ある人に接する人がどういう事をやっちゃいけないのか、ということが非常に不明確であるんですね。それは一言でいうと権利章典が無いとういうか、権利規定がないというか、そういうしっかりとした、はっきりした法律の条文とかいうものが無い。それに近いものが今回のサービス評価基準のようなものですけれども、午前中にも申し上げましたけれども、これは、違法とか適法とか権利を侵害してるとか、そういう観点を必ずしも含んでいなくて、質がいいとか悪いとか、言ってみれば、フランス料理のお店に入ったら三つ星の店なのか二つ星の店なのか、というそういう観点の方がどっちかというと強い訳です。
もちろん、それも必要なんですけれども、やはりはっきりした人権宣言というか、権利宣言というか、やって良いことと悪いこと、やらなきゃいけないこと、いうことをはっきり書いた規定が無いことには、オンブズマンが居ようが何が居ようが、判断の根拠と、批判の根拠が不明確な訳です。そういう明確な権利規定というものを作らなきゃいけない、で、その明確な権利規定というものが、実は今回皆さんに資料でお配りしてる、国連の標準規則とか、或いは障害者の権利宣言とか、国際的な、もっと溯れば、世界人権宣言とか、そういう国際的な障害のある人とか、一般の市民を含めた全ての人に関する権利規定であるわけです。そういうものを国内法というか日本の中では、どうも曖昧にして、しっかりした権利規定になっていない。何時の間にかサービスの評価みたいな、ちょっとお茶を濁したような形になっているところに問題があると思います。
ですから、一番目の問題は、権利規定、違法になるか違法にならないか、やって良いこと悪いこと、やらなきゃいけないことをはっきり皆が認識できる規定・規則を社会の中に打ち立てておくということが一つ大事だと思います。
もう一つの大事な点はルール違反をしているかどうかということをはっきりチェックできる機関が必要だということです。このはっきりチェック出来る機関の一つがオンブズマンなわけですし、或いはアメリカなどの文化の方で言えば、例えばアドボカシーという活動があったりする。権利侵害を見つけたらそれを絶対許さないというようなシステムというのが必要になってくるんですね。それに関わって先ほどちょっと、私達の分科会の発表者の人が紹介してくれた、例えば情報公開ですね、つまり情報が目隠しされていればオンブズマンは何も出来ないわけです。目隠しされた状態で良いとか悪いとか、言えない訳ですから、つまり全てが明るみに出る状態を作るために情報公開が必要だし、公開された情報を前提として、迅速に権利侵害を救済するというシステムが必要になる。この二つが日本の社会の中で決定的に欠けているわけですね。いわば、現状というのは、まず、権利規定が無いので、何をしていいのか何をしちゃいけないのか分からない、仮にようやく権利侵害が有ったと言う事が認識されても日本では裁判所に行くしかなくて、この裁判所というものが、実に頼りにならない機関で、お金も時間もかかってろくな結論が出てこないという、残念ながらそういう機関というのが日本の現状で、そうなると、結局は泣き寝入りしてしまう、さっぱり権利というものが実現されない、この辺が今後の改革の一つの柱にはなるんだろうなという風に思っています。
司会:
それでは、先ほど会場の皆さんもお気づきになりましたように、日本でオンブズマンという言葉を使っているが、元々のスウェーデンで使われているオンブズマンという言葉が全然概念規定が違うようです。そのままでは、ジェニーさんからもコメントを頂きにくいと思いますけども、午前中の議論ですとか今の報告などを聞かれて、特に日本でこれから、こうした障害を持った方達の権利を確立していくために、どのような点に着目したら良いのか、というようなことで、コメントいただければお話していただきたいと思うのですが。
ジェニーさん(大滝訳)
私は現在日本で住んでいる訳ではなくてスウェーデンの人間ですし、あまりにも日本の事情が良く分からないので、これからどうしたら良いかということを具体的に挙げられる立場でないので、何とも言えませんが、少なくとも午前中の時間でスウェーデンのオンブズマンというものがどういう役割を持っていて、あくまで法律の補助的なものとして存在しているということを、もし皆さん方にお分かりいただければ良いと思うんですが。
大谷先生
まったく当たり前の話しなんですけど…。日本での私達の課題を日本で我々が解決していかなければいけない。で、いろいろご意見ご質問出ましたし、私は今日は司会ということで私、余り話すことも無いんですけども、一つは、東京都で始めたモデル事業というのは、先ほどから出ていますように、問題を客観化する意義があります。人権侵害があったという話や今の施設の現状に問題があるというのを、それぞれの職員や利用者がつぶやいている段階がありました。或いはマスコミで取り上げたりした場合に、「いや、あれは一部の施設なんだ」と、「うちは違うよ」という形で問題が明確になっていなかった面があると思うんですね。そういう意味では、問題を客観化した、客観化した部分によって大滝さんがおっしゃいましたように、職員の意識や施設長の意識も、つまり客観的に出たものに対しては誤魔化す事ができませんから、それが正しいかどうかは別として、議論の材料になった。そういう意味では非常に横断的な議論の材料を作り出したということですね。こうした施設の現状を自分達で評価すると同時にオンブズマンという第三者が評価したというのは、非常に大きな第一歩ではないかなと思います。
私は大阪から来ましたので、大阪でいえばおととしから去年の夏にかけて一年間で19の障害者団体が集まりまして、障害者自身、或いは一部そこにいる職員ですが、その人達が障害者自身を自宅に、或いは一部の精神病院も含みましたけれど、調査に回りました。その結果、やはり、いろんな生活項目の場において差別を受けた事があるかどうか、具体的にどんな差別なのか、いう事を聞いて回ることを一年間しました。去年の8月に発表いたしました。東京の場合は施設ということですが、大阪の場合は主に在宅です。何が差別なのかということについて、団体の職員も或いは施設の職員も親も周りの家族も、それから、勿論本人達も、日本では合意が無いと言うんですね。だから、極端に言えば、親が本人の年金を預かっていて勝手に使っていても、差別したと親は思っていない、施設がやはり入所者の年金を預かっていて、しかも預かり金まで取っておいて、そして、枠内で管理して使わせている。それを誰も差別と思っていない。中には、親がそれは施設に寄付したんですと、後で言ったような事も大阪でもありました。そういうふうなことが当たり前に起こってる中で言えば、改めてその人自身を含めて、差別というものがどういうものなのかという基準が、日本の中から作られてこなければいけないんじゃないかなということで、そういった大阪での活動をしたわけです。先ほど池原さんもおっしゃいましたように、こうした国連のルールというのが基準になって、これに照らしてみたら差別じゃないか、人権侵害じゃないか、ということが分かればいいんですが、日本ではこれはどこかの神棚にあったり、倉庫に置いてあったり、施設でも書庫の裏の方に置いてあったりして、利用者自身が直接見ていない中では、その中で差別だということは、声が上げれないんですね。差別だという客観的な声が上がって、始めてそれについてどういう実態なのかというのが調べる話しになるだろう。
そういう意味では、午後のグループ討議の中でも、まず事実が出てきて、その事実がどういう風にみんな評価しているのか、ということ、更にそれが何故出てきたのかということが明らかになる。で、そういう意味では解決策かどうかというのは別として、その中で問題の振り分けというか、どんなレベルでどこにどういう原因からそうした権利侵害が生まれているのかということを、施設の中でも外でも少し議論する土台は出来たんじゃないか、出来つつあるんじゃないかな、そういうふうに思います。
問題はその中で、午前中からも私がずっと言ってるし、皆さん方も多分いろんな質問の中で訴えているように、施設をより良くするための自己評価なりオンブズマンなりなのか、障害者の権利を守るためのオンブズマンなのか、自己評価なのかというところは、少し違うように思うんですね。そのあたりについて、是非議論をしていただきたい。先ほど、まあ皮肉に五階とこのフロアとの分科会を一緒にしたら良かったねと発言したわけですが、どうも五階の方は施設の中でより良くするにはどうしたらいいか、というところの議論に留まっていて、そういう意味では大阪ではどん詰まりに踏み込んだという面が率直に言ってあるわけですね。それに対して、こちらのフロアの話しは、地域の人々とかいろんな研究者なども来てくれてるから、施設に入るということそのものを含めて、その構造が問題じゃないかという議論も出たように伺いまして、そのあたりのズレというのは非常に大きいんだろうと思うんです。それから会場の方から、自分は施設を作らせないという運動の提案もございました。ただ、問題は、こうして、より良い施設になったら、施設から出たいという障害者がいなくなる、あまり出てないんじゃないかという感じがするんですね。それじゃ悪ければ出て行くのかといえば、それも変な話しなんで、施設が悪いからこんなとこ出て行くわ、ちゅう話しでも、これは非常に難しい。そういうのでも無い。
だからそういう意味では施設を、一体オンブズマンというのは一体何なのかといった時に、オンブズマンとか自己評価というのは何の目的かという、施設をより良くするためのものでなくて、多分、障害者の権利を保障し、より権利が発揮できるようにするためのしくみを考える第一歩として、取りあえず、障害者がたくさん入っていて、しかも殆ど発言権のないような、施設から始まったんだと位置付けたらどうだろうか。施設で終る活動ではないんだと。たまたま、地域の障害者に全部聞いて回るわけにはいかんから、一番取っ掛かりとしての施設という、ひょっとしたら施設と同じことが在宅の自分の家でも行われているかもしれないよと、いうようなことも含めてですね、スタートではないかなと私は受け止めました。そういう意味では、あくまでも施設をより良くするためのオンブズマンじゃないし、評価基準でもない。
それから、もう一つは池原さんもおしゃいましたし、私たちも実は障害者と一緒に抱えているのは、今、障害者基本法の改正が来年以降考えられていますし、今年の障害者の法律改正ですね、精神保健福祉法も、身体障害者福祉法も、いくつか、制度の改正があります。ただ、それは先ほど質問で出ましたけれども、基礎構造改革の一番始めは、悪い施設はつぶれても構わないという思いを含めて、基礎構造改革の議論が始まりましたし、基本的に利用者本位、利用者が選んでいくんだ、という考え方。それから、更には、利用者に、施設に措置費という形でお金を直接流すんじゃなくて、利用者にお金を渡して、利用者が施設に払う。大阪では、そこから言えば、利用者が今日の部屋代だよって払う、こんな部屋代払いたくないって人がいる。今日の入浴代だよって払うけれども、そんな熱い風呂にささっと入れられたんじゃ200円も払うの嫌だ、食事代だよと払うけれども、いや、そので施設じゃなくて隣の食堂にいって私は食事代を払う、一月30万円でたらこういう事も出来る。或いはここの訓練の場所は嫌であって隣のデイサービスセンターや駅一つ向こう例えばそういう職業訓練の場所に私は行って、そこで訓練費を払う。今夢見たいなことなんですが、こういう理論を大阪ではしています。それなら施設は単なる部屋、居住の場にしていってもいいんじゃないか、というような議論もしています。
こういったことも踏まえて、選択肢がないところでは評価をしても仕方ない部分がありますので、より多くの選択肢自体をどう作っていくか。それは今の法律制度のなかで出来ないのか、或いは分場方式だとか小さなグループホームだとか、或いは作業訓練の場所も別なところに委託するとか、うちの施設の作業訓練はうるさいから私は向こうにいきます、ああ、どうぞいってらしゃい、夕方帰ってらっしゃい、いうのでいいんじゃないか、もう帰るのが嫌だという人もいるかも知れませんが・・そういう事を含めた広がりのある政策に対応してオンブズマンという議論がそろそろ一方であって良いんじゃないかという感じが致します。
それから最後にスウェーデンの制度を聞きまして、午前中最後にジェニーさんと大滝さんの話されたことが、非常に納得できました。つまり、オンブズマンが本人の代行をして解決する訳じゃない、オンブズマンは解決するためのルールとかルートを探り、パイプを繋ぐんだと、調整役なんですね。例えば、サービス提供者と利用者の間にパイプを繋いできちんと筋道の通った議論ができるようにするための調整をするという話しじゃなかったかなと思います。
そういう意味では日本ではややもすると、オンブズマンが何かお奉行様のような形になったりですね、検察官や裁判官の役割をするみたいに思われている。正義の味方の代弁者のように受けとめられている。自己決定という議論から言えば、一人の人にそうした決定権を持たせてはいけない、あくまでも一人一人市民が自分の問題を解決する権利を持っている、それを他人に委ねるのはおかしいですね。ただ、その権利の発揮の場所やどういう形で自分の権利を発揮したらいいかわからないから、そこにオンブズマンというルールで、自己主張が出来るそういうシステムを作る、福祉の現場の問題を市民社会のシステムとして提案していく、というようなものとして考えられている。あくまでも当事者同士で解決したらどうなんだ、という支援のシステムでしょう。
それから、その時の基準として何回も出ていましたのは、やっぱり、国際連合ですべての国の人々がこれを守ろうと言ってる、日本政府も国連中心の外交といってるんであれば、こうした障害者について、或いはその他の人々についての権利、当たり前の権利も国際的な基準に従う。そういう意味ではこの国際的基準を日本の中で根づかせていくという活動が必要なのではないか、というふうにも思います。
これまでの議論をしていった中で、施設の在り方も含めて日本において、これで障害者への差別をどういう形でお互いに考えて改善していくのかということについて、東京都の場合は第一歩を踏み出した。全国的には未だ、第一歩も踏み出していない現実もありますが。
基礎構造改革でいえば、社会福祉法人の先進的な事業体の足を同じ社会福祉法人が引っ張って一番低いレベルに逆流させている動きが強くなっていますが、この一歩を大きな力にして利用者、施設の職員、地域の人々、家族、その他の人々で新しい一歩を踏み出していただければと思います。
そうしたスタートの方向がある程度見えてくれば、今日のセミナーはある程度成功したのではないかと思います。
ご意見お問い合わせなど、下記にご連絡下さい。
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