「スウェーデンにおける本人参加と自己主張」

そして

施設での暮らしー相互関与と障害の認知」


オーケ・ヨハンソンさん・大滝昌之さん講演会記録



講 師  大滝昌之さん、前EKOデイセンター施設長
      
       オーケ・ヨハンソンさん、スウェーデン知的障害者協会(FUB)理事、
                              本人部会(クリッパン)会長


日 時  1997年11月6日

場 所  札幌市身体障害者福祉センター

主 催  札幌「地域生活支援を考える会」


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キーワード

スウェー デンの「自己決定」

  知的障害をもつ人の自己決定権が語りだされたのは、 長い「入所施設生活」から解放されたオーケさんが、当時の、まだ「親の会」であったFUBの活動に参加した70年代の半ばの頃
  オーケさんが始めて「施設での生活」を語ったことによって周りは始めて「障害をもつ人自身」の声を聞くとともにこれまでは、障害をもつ人はその「障害」のために自分では物事を判断することは出来ない、と考えられていたことを見直す契機となった。

  障害者のためにと、周りの価値観で障害をもつ人の生活を決定付けていたことがノーマライゼ
ーションへの流れの中で
「発言が許されるということは、相手はそれを聞かなければならない」「物事を決める場合、賛否も含めて本人の同意がなければならない」との、一番大事な大前提が出来てきた。


「共同決定」−
Medbestämmande

  集団や対人関係の中で物事を決めて行く場合、ある特定の人やグループが独断的に決定をするのではなく、すべての人がそれぞれ決議に参画して、合意の上での決定をする事。

  縦割りでない、一般社会の民主的な関係の中ではすでに浸透している。 職場などで物事を決める際には、この形で行われる事が多い。


「相互関与」−
Medinflytande

  すでに使われていた「共同決定」という言葉から派生した言葉で,「共同(Med)」という言葉をもじって、 オーケ・ヨハンソンさんが使い出したと言われている。
  人は、互いに影響(Influence)を与えたり影響を受けたりする存在であり、それは、誰もが「お互いに関与し合っている」という事を意味する。しかし、一方の人が片方を無視したり、無関心であれば, 相互に関与するという関係は成り立たない。


「障害の認知」−Handikappmedvetande

  自分が障害をもつことを認知すると同時に、自分のハンディカップに対しての認識を持ち自分が必要とする援助を認識するようになる事。

 
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  「皆さん今晩は、私は、本日のオーケ・ヨハンソンさん、大滝昌之さんの講演会の進行を勤めさせていただきます藤崎と申します。 どうぞ宜しくお願いいたします。

 皆様お手元に受付で配られた資料をお持ちと思いますが、その一枚目、表紙の裏に書いてあります。 「自分のことは自分で決める」ということ。

 これまでは「知的障害」をもった方は、中々、自分のことを自分で決めてこれなかった。 と言うよりも、周りの方が、色々と本人のためにこうしたら良いのじゃないか、こういう助けを致しましょうと、主に「外からの援助」。こういった事が一方的になされて来たのではないかなと思います。

 ところが、そうではなくて、障害をおもちになっていても、勿論、 「自分のことは自分で考え、行動する」と。 そして「自分の意見をきちっと発表していく」。 といったようなことが、大切なことだと、一番基本的なことが、最近改めて見直されてきた。そうした流れがございます。

 本日の会は、お二人をお招きしまして、「本人参加」と「自己決定」と「自己主張」これをどのように掴んでこられたか、そしてその大切さを、アピールしていただきたいと思います。これが本日の会の目的でございます。

 タイトルにあります「クラブ EKO」のことですが、EKOは、スウェーデンのナツカ市にあります通所施設です。ここを根拠と致しまして、障害をおもちの方が音楽活動を通じて自分のことを表現している、メッセージを伝えて行こうと活動しているのですね。隣におります大滝さんが、そのリーダーをなさっている。
 1992年に初来日コンサートを開いて、以来ネットワークを全国に広げ、こうしたフォーラムを開催している会なのですね。詳しくは、資料の4枚目をご覧になって下さい。

 本日の日程ですが、 第一部として大滝昌之さんの講演、 「スウェーデンにおける本人参加と自己主張」。第二部はオーケ・ヨハンソンさんに、 「施設での暮らし 相互関与と障害の認知」。
 このタイトルでお話をしていただきたいと思います。そして、休憩を取りまして質疑応答とさせていただきたいと思います。

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「スウェーデンにおける本人参加と自己主張」

大滝 昌之さんの講演

 
 
ご紹介いただきました大滝です。 今日は皆さん大変お忙しいところ、大勢お集まりいただき有り難うございます。

 今年の3月だったと思いますが、スウェーデン語でエフ、ユー、ベー、FUB(スウェーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)という会がありまして、こちらの育成会、手をつなぐ親の会と同じ頃に出来た組織なのですが、その全国連盟の会長のエライン・ヨハンソンさんと一緒に来日致しまして、エラインさんの講演は札幌でも聴いてもらえることが出来ました。

 その時に、次回は「本人活動」「施設解体」ということに非常に力のあった、オーケ・ヨハンソンさんをお招きしょうということになりました。ちょうど2年前に、一度オーケ・ヨハンソンさんは来日の機会があったのですが、残念なことに体調を崩されて中止になりました。 今回が初来日ということになります。


□ スウェーデンから見た日本の知的障害をもつ人の福祉

 エラインさんにしてもオーケさんにしても、日本の知的障害をもつ方の福祉ということには、大変関わりの深い方たちであります。

 日本の知的障害をもつ人たちの福祉は、90年代にはいってから非常に急速なテンポで進んできたと言われています。

 僕の実感ですが、92年にEKOが初来日した時には「精薄ロック」とか「知恵遅れロックバンド」とか呼ばれ、新聞などにもそう書かれていたのです、ところが、その翌年スウェーデンに旅行してくる添乗員の人までが「知的障害」という表現をするようになっているんですね。
 「用語・表現」や「概念」といったものが、スウェーデンから直接ということではないのでしょうが、色々経過を経ながらも非常に早いテンポで日本に浸透して行っているようですね。

 「本人参加」であるとか、「自己主張」「自己決定」とですね。それより以前に「ノーマライゼーション」という言葉も入ってきている訳ですね。

 これを見ていますと、色々な言葉の使われ方について、何度かの来日の度に感じているのですが、最近はどうも少しズレがあるのではないかと感じています。


□ ノーマライゼーション・言葉の意味を正しく認識すること

 言葉というものが、はっきりした形で使われていない。それには色々な理由があると思いますが、周りの人々、つまり僕ら皆がその問題に付いてどう考えているかということが、その言葉を生かして行くことになるんです。
 たとえば「ノーマライゼーション」という言葉は、人々それぞれの立場で使っているのだと思いますが、スウェーデンで「ノーマライゼーション」ということが語られるようになった、その基点というものを振り返ってみると、こういう事だと思います。

  僕は、「大施設」に職員として勤めたことがあるのですが、つまり職員として、或いは親として、また一般の人としてもですね。

 自分が「施設」に住みたいと思うかということです。

  この場には施設にお勤めの方、学校関係者、親の方と立場の異なる方々がおいでと思いますが。自分自身が「施設」に住むということを考えた時に、いかがですか。

  僕は、住みたくない。そう思うのです。 自分たちが住みたくないところに、人を住まわせる、人が住むということは「ノーマル」ではないんです。
 ハンディをもった人たちなんだから……、「施設」に住むのも仕方がないと考えた時に、既に、それは「ノーマライゼーション」ではなくなってきているのです。

 そこらが、非常にボカされて使われているような気がします。


□ 「本人参加」の契機、スウェーデンとの交流

  90年代に入ってからの日本の知的障害をもつ人々の福祉の発展というお話をしました。 これは、特に1990年にフランスのパリで開催された「インクルージュン・インターナショナル」、これは 「国際育成会大会」と言われていますが、このパリ大会に日本から何人かの障害をもつ方と援助者がオブザーバーとして参加したんですね。
 その会議には、スウェーデンの代表は100名程参加していました。そこで、非常に活発に意見を述べていたんです。
 そこで日本の人たちが壇上に呼ばれ、一言挨拶をと促された時にね。そうした時に、日本の人たちは体が竦んでしまって、何も言えなくなってしまった。 そのことが一つの大きな契機となって、日本の「本人活動」は活発化したと言えます。

 日本の人たちは、それまで人前で何か発表するとか、外国の人が大勢居る会議に参加することなどの経験はあまりなかったわけですから、無理もないですね。

 ブルブル震えてしまった自分たちと、活発に意見を表明しているスウェーデンなどの外国の人々と比べてね。大きな感銘を受けたのでしょう。パリ大会からの帰国後、多くの人々がスウェーデンでの本人活動に目をむけるようになりました。「自己主張」「本人参加」「自己決定」の言葉の意味と取り組みへの理解を求めだしたんです。

 
□ スウェーデンの「施設解体」決定は 真のノーマライゼーションの実現

 その翌年に、私は東京で開催された育成会の全国大会に講師として呼ばれたスウェーデンのFUB(スウェーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)の代表の通訳として来日しました。そこで、FUBの代表の発言で「スウェーデンでは、ここ数年のうちに入所型施設は全て閉鎖するという法律が出来た」と発言した時に、会場の日本の人々に大変なショックで受け止められたことを良く覚えています。 その当時の日本は、今も変わりませんが、入所型の施設をドンドンドンドン作っているんですね。

  また、その翌年のことですが、障害をもつた人々がスウェーデンに研修にやって来ました。「ダスキン」が主催した研修ツァーでしたね。
 そこで、ここに居るオーケ・ヨハンソンさんと出会い話し合いをもつ訳ですが。オーケさんから、自分の障害というものの「認知」をしなければならないということを聴いて、日本の皆さんがショックを受けていたのを通訳しながら同席していた僕は記憶しています。


□ スウェーデンは特別な社会ではないこと 

 先ほども触れましたが、ノーマライゼーションということは、僕たち周りのものが作って行かなければならないものですから、つまり、周りがどのようにその問題を捉えているかと言うことに非常に左右されるのです。

 外国の言葉や、外国で生まれた概念が入ってくる時に、往々にして僕らは「あれはスウェーデンでの話だから……」「日本は事情が違うから無理だ……」とね。そうした考えに陥りやすいんですね。
 ここにあるオーケ・ヨハンソンさんが書かれた本を見て行きますと、ここに書かれている世界というのは、彼が施設を出た1975年代までのスウェーデンの生活・世界なのです。ここに書かれていることとまったく同じ現実が、日本にはまだ沢山在るでしょう。

つまり、彼が自分で体験したことを描いた世界は、そのまま日本の今の現実なんです。

  僕がスウェーデンに入った頃、1969年に「親は子どもを殴っちゃいけない」という法律が出来ました。それまでは、親は子どもを殴ることが一般的に常態としてあったのですね。日本とは違ってそれこそ半端じゃないことが行われていたのです。子どもに殴るための木の枝を取って来るように命令するところから始まる、念の入った折檻の習わしがあった国なんです。
 でも、そうしたことが、ドンドン社会が進んで行くことによって、それにしたがって制度や法律も変わって来たんです。それが出来る国なわけです。


□ 当事者が要求したから出来た「高福祉社会」

  3月に講演したエライン・ヨハンソンさんも話していたことなのですが、1950年代にはスウェーデンの親たちの80lは、医者の勧めに従って施設に子どもを預ける状態だったのです。日本と同じ状況ですね。

  何故スウェーデンでは、これほど福祉が進んできたかと言いますと、これには歴史や文化、制度の問題があると思いますが、一つの大きな要因は、自分たちの権利を主張してきた障害をもつ人々の取り組みがあるんですね。
 取り組みの最初は視覚障害のある方々の権利主張でした。これは130年も前のことです。これ以降、障害をもつ人々が自分たちの団体を組んで、自分たちの権利を主張してきたと言う歴史があります。

 そこで知的障害をもつた人々の取り組みを見て行きますと、丁度、日本の育成会ができたと同じような時期に1950年代にできた、現在のFUBの前身が障害をもつ人々の代弁をするようになったんです。 それまでは、医者や行政は親に子どもの施設入所措置を説明して薦める、同意を求めると言うことではなく、オーケさんの本にも書いてありますが、もぎ取るように強制的に連れて行くと、その施設の状態もかなり酷いモノでした。

 そういう状況は、今の日本でも、僕は見てきました。「療育センター」とか「療育病院」とかで、50名ほどの人々が、一室にズラーっと並んでベットに寝かされているとかね。そんな状況は昔のスウェーデンの全国の至る所であったわけです。

 そうした酷い処遇を変えて行けたのは、障害をもつ人々が自分たちの権利を主張してきた運動の歴史にあるのです。 いかに、社会保障の進んだ北欧、スウェーデンであっても、自分たちの主張を行わない分野の福祉は遅れて行くんです。

  ですから、「本人参加」「自己決定」ということは、彼らも同じ人間だといったような「人権」だけの問題だけではないのです。
 人権の問題は、勿論あります。ありますが、ここで言っておきたいことは、「本人参加・参画」「自己決定」「自己主張」をしないと、社会保障、福祉というものはドンドン遅れて行くと言うことなんです。


□ 教育的表現よりも、必要なのは実体験

 先ほども述べましたが「自分が住みたくないところに、暮らしたくないところに、ある特定の人を住まわせるということは、ノーマルな社会ではない」のです。ノーマライゼーションとは、だれであっても、特別扱いをしないということなんです。

  日本では、「自分のことは自分でしなさい」とどこでもいいますよね。学校などでもそう教えています。僕の出身中学は札幌の向陵中学でした、今でもあると思うのですが、そこの校訓というのは「自主独立」でした。
 どこの学校などでも「自立」ということを教えるのですが、ところが実際にやっていることは、「先生たちが決めたこと」。どこにも、「本人たちの参画」ということがないんですね。

 スウェーデンに例を取りますと、僕の子どもの通っている小学校などでは、子供たちで「ディスコ大会」なんてやります。 全校の子供たちが一緒にですね、1年生はただ走り回っているだけ、2年生はその辺でゴソゴソやっている。3年生ぐらいになるとダンスを始め出す、4年生にもなると、男の子、女の子の生徒がチーク・ダンスなんかしたりしてね。
 5年生は会場のライティングを受け持っているし、仕切っているのは6年生。CDを入れ替えたり、DJなんてやっているんですね。ケンカしたりしないように見回っていたり、会費のお金の管理なんかもする。
 ところが、教師は一人ぐらいで、売店でジュースを売る係りなんかしているんですね。 

 日本の学校ではいかがですか。 もし小学校で「ディスコ」なんてのがあるとすれば、・・・ないと思いますがね。おそらく教師が全部仕切ってしまうんではないですか。

 つまり、日本ではどこでも何時でも「自分のことは自分でしなさい」というのですが、その言葉が生きていない。僕らの生活に「自分のことは自分でする」体験が生きていないのです。

 僕の体験でスウェーデンでのカルチャーショックをお話します。

 入国したばかりの僕は、音楽の仕事をしたいと、音楽専門の職安みたいな所に知人を訪ねて「何か仕事はないか」と頼んだんです。 僕の気持ちとしては、その人に探してもらって、もし旨くなければ自分でも・・・ということでね。やっぱり、人に頼んでおいて自分で勝手に動くのは不味いと言う気持ちがありました。相手のことを考えなければいけない、という風にね。

 一週間ほどして、「何かありましたか」と行ってみたら、「こちらはまだ見つかっていないが、アンタの方はどうだった」と聴かれたんですね。 それで僕は、「いや、貴方に頼んでおいたから、自分では探していない」と言いかけますと、「キミ、自分のことじゃないの」と言われました。

  「自分のことじゃないのか」と言うことは、さすがに日本人の僕にも解りますが。人に頼んだ以上、「勝手に動くと不味い」と言う想いだったんですけど、それは日本的な考え方、感覚だったんですね。 スウェーデンへの入国一週間で、ここは日本ではないという実感がドンとしたのです。本当の意味で「自分のこと」ということが解りましたね。
 その時に日本での「自分のことは自分でする」という教育的表現と実体験が、いかに曖昧であったかと言うことが良く解ったわけです。

 
□ 「自己主張」と「自己決定」について

  前回、札幌での講演の時にも、親として子どもの「自立」をどう支えて行くかと言うことでお話ししましたが、どうもこの国では、「自分のことを自分で決める」ことが、行われていない。「自己決定」がなされていないのですね。
 僕のお袋などは、年金生活をしています。自分で決めて年金に加入していたんですけど、これはまだいい方なんですってね。彼女と同じ世代の女性の多くは、ご主人の存命中に自分が旦那さんを差し置いて年金に加入するということはとても出来ない世代だったらしいです。

 年金も掛けないで居て「旦那に養ってもらおう」と思っているうちに、男性は大概、先に死にますから、旦那に先立たれてしまって、生き残ってはいるが年金はもらえないといったことがあるんだそうです。そうした一つ一つの生活の場面で、「自分のことは自分で」決められないようなことがある。

  小学校への入学時の思い出ですが、僕は親父にやられましたね。頭をグイッと押さえつけられて、親父は普段使い慣れていない言葉づかいでね。「先生どうか宜しくお願いいたします」僕には言ったことのない言葉でね。「うちの子は、こんな子どもですが……」とかね。
 僕には「お前ちゃんと言うことを聴いてな。あんまり我が侭言うんじゃないんだぞ。先生の言うこと聴いて」って。

 これはね。小学校への入学で「学校ってどんなとこだろう」と、夢と希望で満ち溢れている、期待と緊張のさなかの子どもにとっては致命的な言葉ですよ。子供には「自分の言いたいことは言うんじゃない」と言い、「もし、我が侭を言ったら叱ってくれ」と教師に言う。
 こういうことを話されて育ってきた子どもが、「自分のことは自分でしなさい」と教えられても、一体どんな実体験が残るのだろうかと思うんです。

 僕の演題は「スウェーデンにおける本人参加と自己主張」です。スウェーデンではそれを非常に大事にしている。 皆さんがお聴きになりたいのも、スウェーデンでは「自己主張」「自己決定」は、どうやっているのかだと思います。その取り組みの理解をいただく前に、ギャップを埋めないと伝わり難いことなんですね。

 
□ ノーマライゼーションの開始に立ち会って 

 どうも、日本にはノーマライゼーションという言葉一つでも、きちんと伝わっていない。概念が理解されていない、そんな感じがしますね。 日本でもノーマライゼーションという言葉は、もう10年以上使われています。
 
  でも、施設などに行くと、未だに「先生」と呼ばれる人が、成人のもう人生経験を何十年もやっている人に「生きる」ことを教えている。その「教える場」も非常に狭かったり、普通にある「生活の場」ではない。
これを、もう僕は何年も日本に来るたびに言っているんですが、あまりにも変わらなすぎる。一体、言葉や概念をどのように捉えているんだろうかとね。くどく言わないと伝わらないと思うんですね。

  スウェーデンでも、ノーマライゼーションやインテグレーションという言葉は、どこにでもある言葉ではなかったんです。
 僕が大施設に勤めていた時期は、入所型大施設からドンドン人が出て行って少なくなってきていた時期ですけど、その頃は、僕はノーマライゼーションは勿論、グループホームというものがあるというのも知らなかったし、どうして入所者が少なくなって行くのかも良く知らなかったんです。
 その大施設に勤めていて暫く経った後、専門の教育を受けることになってようやく、始めてノーマライゼーションという言葉を聞いたし、インティグレーションの意味も解ったんです。そしてグループホームの存在も知り、何故入所施設から人が少なくなって行っているのかも分かるようになりました。 そういう風に僕自身も体験しましたが、施設に長く住み過ぎると、入所者ばかりではなく、職員も「施設病」になってしまうんですね。そこの世界しか見えなくなって、外の世界が解らなくなってしまうんです。

 
□ オーケさんの発言が「親」を、社会を変えた

  オーケさんの活動についてですが、彼が施設を出たときはFUBはまだ、日本のそれと同様「親の会」でした。  

 オーケさんが「施設体験」を語り始めたことによつて、その理不尽・不当な処遇について始めて本人、当事者から聴くことが出来て、オーケさんの主張に耳を傾け同調した親たちがまず、彼を地域のFUBの理事に推薦し、県単位の、全国連盟の理事になるようになりました。
 そして、障害をもつ本人の人々がFUBにドンドン加盟して「親の会」が現在のFUBの姿である「知的障害者の会」に変わって行ったんです。

 スウェーデンでも、親には先入観がありました。その一つは施設設置の根拠にもなることですが、「あの人たちは発言の出来ない人なんだ」ということです。
 ところが、オーケさんたちがドンドン発言するものだから……。その先入観、偏見は、取り除かれました。
 次には「権威」ですね。親としての「権威」にすがって「あの人たちに発言をさせて良いモノだろうか」というわけです。親の「権威」ですね。
 その次の先入観は「あれは、軽度だから……」、「軽度だから言えるんだ。重度の人たちには言えないことだ」というものです。

  オーケさんの本を読んで下さい。このオーケさんほど認識する力があって、物事を理解でき、はっきり話も出来る、この人が何故、32年間もの長期に渡って、これほど虐げられた生活を余儀なくされたのか。
 一寸、考えてみて下さい。オーケさんでさえ、こんな生活を送らされたのだから、ものが言えない人たちは、重度の人たちは、最重度の人たちは、一体どんな生活を送らされているのか。ゾッとする話ではありませんか。


□ 障害の重い人の「自己表現」を感じとる支援

 いかに重度の、最重度と言われる人であっても「自己主張」はあります。言葉としては出てこなくても、主張はあるんです。「自己表現」をしています。

  私の体験ですが、こんな事がありました。ご飯を食べさせてあげている時に、お米のご飯を口に入れてあげても、舌でボロボロ吐き出してしまう人が居ました。
 何度も何度も食べさせようと職員はするんですが、食べない。見ていた僕は、「ケチャップを付けたらどうなの?」ってね。日本人の僕には、チキンライス的発想でご飯だけだと「味」がないから食べないんじゃないかと思ったんですよね。スウェーデン人にはない発想だったので、「それは人道的ではない」とその職員に叱られましたけどね。

  肉にジャムを付けるスウェーデン人の「人道的」食事、ご飯にケチャップ付けたって良いじゃないかと、やってみたら、その人、食べるんですよ。 

 最重度の障害をもつ彼が、ご飯を吐き出しながら「主張」したかったのは、言いたかったことは「この米には味がない」と言うことだったんですね。 「味がある物を食わせろ」と、言葉はないけれども、態度で示していたんです。

  人にはそれぞれ表現の仕方があることを支援者は知らなければなりません。
 僕たちは文字や言葉だけに頼って、とかく文字や言葉がはっきりしないから何を言っているのか解らない、何も言っていない、主張はないとしたりします。 でも、表現方法に障害をもつ人の、その人にとっては普通の主張が解らないというのは、僕らが解らないだけなんです。
 ノーマライゼーションをしなければならないのは僕らなんです。

 
□ そして、ハビリティーションを支援すること

 リハビリティーションと言う言葉がありますが、その言葉はスウェーデンでは僕らは使いません。何度も話していますから、もう皆さんご存知だと思いますが、僕たちは「ハビリティーション」です。

 知的障害をもっている人たちを「リハビリティーション」は、出来ません。元へは戻せません。病気ではないんですからね。

 彼らの援助を必要としている部分、不自由に感じている部分を周りが支援する、カバーしていくんです。ですから、「ハビリティーション」です。
 色々な施設に「リハビリティーションセンター」なんて名付けていますが、「リハビリ」しなくちゃいけないのは、僕らの方ですね。
 彼らの「ハビリティーション」を支えて行くのが、僕らのすることです。

  大変、厳しい話になったかと思いますが、これでオーケ・ヨハンソンさんの講演に繋げていきたいと思います。

 どうも有り難うございました。

 
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司会:「どうも有り難うございました。続いて、オーケ・ヨハンソンさんの講演を頂きます。通訳は、大滝さんにお願いします。」

 

「施設での暮らし−相互関与と障害の認知」

【FUB(スウエーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)理事・本人部会長】

オーケ・ヨハンソンさんの講演

 

  皆さん今日は、私は、私が32年間も生活してきた施設での暮らしについて、話を聞いていただくために参りました。

   私の話の最初に、私のスウェーデンで出版した本の表紙にあります医者の診断書を読みたいと思います。


□ 私を閉じ込めた「診断書」

 この診断書は、1954年に書かれたものですが、それにはこうあります。

 「オーケ・バルティル・ヨハンソン ハーランド県ヴィンバリェ教区、1934114日生まれ。その身体的および精神的な遅滞のため、おそらくその生涯、本人による自立生活の可能性はないことを、ここに証明する。1954226日ロンネホルム城」とありました。

 そういう訳で、私は32年間も施設で住むことになって、現在は66歳の年金生活者です。

  私の施設生活は、大きく二つの生活の時代に分けることが出来ます。 一つは8年間の「ハラゴーデン」と呼ばれる知的障害児の教育養護施設です。
   それから24年間を過ごした成人の労働居住施設で、これはスコーネ地方の「ロンネホルム城」という城のなかにあった施設でした。

  私の話の半分の時間を、この二つの施設でどんな生活を送ったかを話したいと思います。残りの半分の時間は、私が今どんな活動をしているか、現在のスウェーデンの知的障害をもつ人が、どういった経緯で現在の生活を送れるようになったかについて、お話していきます。

 
□ 10歳の子どもが施設で暮らすということ

  私は施設に住むと言うことは、まったく人間的なことではないと思います。 そして私は、知的障害がある人だからといって、地域を離れ施設で生活するという理由がまったく理解できません。

 私が施設に強制的に入れられたのは
10歳の時でした。10歳の子どもにとって、施設へ送られるということは、子どもから両親を、家庭を奪うこと。寝る時に側に居る母親が居なくなることであり、自分が頼るべき者、自分をかばってくれる者の全てを奪うものだったのです。

 そして先ず第一に、普通の人がもっている社会的な関わり、周りとの関わり、皆と一緒に生活するという事が奪われてしまうことなのです。

 「ハラゴーデン」という施設は、知的障害をもつ子どもが入所する教育療育施設です。どうして、私が知的障害というレッテルを貼られたかと言うと、小学生の年代から私は文字を読んだり計算をすることはある程度出来たのですが、文字を書くことが非常に苦手だったのです。難しかったのです。アルファベットの綴りの理解が出来なかったのです。
 現在は私のそうした障害も含めて「難読症」と呼んでいますが、その当時は「知的障害」だったのです。 1940年代のスウェーデンでは、文字を読むことが出来ない、書く事が出来ない、あるいは大変時間がかかるという子どもは、知的障害のレッテルを貼られたのです。

「ハラゴーデン」は、学校、教育施設としてありましたが、私はそこでの8年間の「教育」で文字を書くことを覚えたでしょうか。答えはノーです。

  ここにある私の本は、私の話を元にクリスティーナ・ルンドグレンと一緒に書いたものなのです。今度日本語版が出ましたから、これを読んでいただければ、私が話す以上に、四つの壁に取り囲まれた施設での暮らしがどんなものだったのか、良く解るのではないかと思います。


□ 屈辱と服従の施設教育

  私が、施設での学校教育というものを体験したのは1940年代でした。スウェーデンでは1954年に知的障害をもつ人の学校教育制度が法律として出来るまでは、子どもを二つのタイプに進学年齢で分けていたのです。「教育可」と「教育不可」とにでした。私は「教育可能」「教育可」だったのです。

  私が「ハラゴーデン」に入所した当時は、入所後3ヶ月は休暇であっても両親の元に帰ることを許されなかった。両親もまた面会に来ることを許されませんでした。これは施設での一人の生活に早く慣れさせるという名目でした。
 そういうことが、小さな子供たちにとってどういうことなのか、皆さんは想像できるでしょうか。

 「ハラゴーデン」は、大変規則の厳しい施設でした。学校教育というよりは、行儀作法を躾るということに重点をおいて、厳しい規則をこれも厳しい罰則で守らせる施設でした。
 殴るなどの体罰から、沢山の様々な罰があって、その中の一つで私が忘れられないのは「冷たいシャワー」という罰です。これは裸にされた僕たちに、氷のような冷たい水を掛けるものでした。

  そういう環境の中で、小さい子どもはどうやって耐えて行くのでしょうか。ただ黙って歯を食いしばってジーッとして、いわれたことに黙って服従するしかありませんでした。

 現在、私は強く後悔しています。もっと、その時に抗議をしていれば良かったんです。


□ 成人の儀式は強制不妊手術だった

 スウェーデンでは、宗教儀式として「堅信礼」というのがあります。これは神を堅く信じていますということを誓う通過儀礼です。

  私は1949年、私が17歳の時にその「堅信礼」を迎えることとなりました。私たちのグループに、施設所長のサーラ・グスタフソンという女性がいいました「あなた達もこの『堅信礼』を受けて大人になり、社会に出て行くんです。でもその前にファルケンバリー病院へ行って、ちょっとした手術をやらなければならない」と言われました。

  その手術は、「強制不妊手術」でした。当時のスウェーデンでは、法律で知的障害をもった人であったり、いわゆる普通でない人たちには強制的に不妊手術を行うと決められていたんです。

  何故、知的障害をもっ人に「強制不妊手術」をするかというと、これ以上、知的障害の人を増やさないためだとか、知的障害をもつ人は感情がない、性的な欲求もないとされていました。
 これは、まったく違っていますね。私たち知的障害をもつものにも感情はありますし、私たち知的障害をもつものにも性的欲求はあります。

 その「強制不妊手術」の法律は、今はありません。20年以上前に廃止されました。


□ 人格を破壊する、無気力症の「施設病」

  さて、私は成人して「ロンネルホルム城」の施設へ移されることになりました。 そこは「ハラゴーデン」に比べれば、わりと開放的で自由であるといわれる、男ばかり150人ほどが暮らす施設でした。 ここでいう「自由」とは、私たちが現在もっている自由とは比べることが出来ないものでした。決められた中での「自由」であって、自分の意志は生かされない。あってないような自由でした。

 「ハラゴーデン」に比べ、良いこともあった施設ですが、悪いこともありました。ここでは皆が、やる気がなく、無気力になってしまうのです。このことが今でも私たちに影響を与え続けているんです。

  ここでの生活での事は、詳しくこの本に書かれていますから、どうぞ読んで下さい。

  私の「施設生活の体験」をご理解いただければ、私が時に激しい怒りに駆られることを理解してもらえるでしょう。

  私は個人的には、知的障害をもっているからといって人間を「施設」に入れてしまうような事を決めた、行政や政治家には罰則を加えなければならないと考えています。


□ 施設からの解放、ノーマライゼーションの時代

  次に、私は現在のスウェーデンの私たちの状況がどんなものであるのかを、お話したいと思います。現在、私は、ファルケンバリー市で2DKのアパートで、ノーマルで自由な一人暮らしをしています。私は自分のことは自分で決めて生活できる自由を持っていますが、他の知的障害をもつ人々はどうしているかというと、ほとんど人々は昔と比べればズーッと良い暮らしをしています。

  私たちは現在、知的障害をもつ自分たちの会・クリッパン(岩盤)を作っていて、それぞれが住むと言うことや、働くということについて、自分たちの余暇について、あるいは自分たちのことを知らせるということについて問題提起をしています。さまざまな問題を話し合いながら、解決していくということをしています。


□ FUB運動との出会い、「クリッパン」結成へ

  私が施設を出てしばらくした頃に、FUB(スウェーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)と、コンタクトをもつことが出来ました。

  現在、私はその全国連盟の理事であり、ファルケンバリー市の役員であり、ハーランド県の副会長であり、積極的な活動を行っています。

 現在もまだ、スウェーデンでも少数の人々が施設に住んでいます。ですが、これは19991231日を過ぎれば、一人も施設で暮らす人は居なくなるのです。そのことを決めた法律が出来たのです。 入所施設がなくなって、どのように生活するのかといえば、私のように自分のアパートをもつ人が大勢いますし、家族と暮らす人も大勢います。一番大きなグループは、グループ・ホームで暮らす人々です。

 グループ・ホームというのは、ケァする職員がついていて、4人から最高でも5人の人たちが、それぞれの部屋を持って共同で生活する集合住宅です。そこからデイセンターに通ったり、仕事場に通ったりして生活しています。

  スウェーデンの各地で「本人の会」が作られ、いろいろな課題が話され要求を出しているとお話しましたが、その要求が全て通るか、受け入れられるかというと、それはまた別の問題です。この「本人の会」とは、1980年のFUBの全国大会で決議された「知的障害をもつ本人の会を結成する」ということを受けて、その後、15年に渡って着々と実現されてきました。

  知的障害をもつ人々がFUBの活動計画に対して「共同決定権」を持ち、「相互関与」できるということなのです。

  1985年に行われた「本人の会の全国大会」で、私は「知的障害」をもつ本人の会【クリッパン(岩盤)】の初代会長に選ばれました。
 それ以来「知的障害」をもつ人たちとFUBの親や、支援関係者との「相互関与権」「共同決定権」があるということ、つまり私たちには、お互いに良く話し合い物事を決めていく権利があるということを進めてきました。

  次に私は、私にとっても、スウェーデンの知的障害のある人にとっても、とても大事な発展だった、本人の会【クリッパン(岩盤)】結成当時の話をしておきたいと思います。

  1993年に私たちが「本人の会」を作る準備をしていた時に、イェーテボリ市に住む「知的障害」をもつ女性から、『私たちももうそろそろ、自分たちの会をもたなければならない』との励ましの手紙をもらいました。 私は当時、まず自分たちの会の執行部を作らなければならないと思い、それをどう作っていくか、以来、具体的な執行部の作り方について考えてきました。
   難しく難しく考えるよりも、可能性を追いかけて考えていくのが、私の考えでした。

 そこで、私はFUBの全国連盟常任理事会に対して1995年に「知的障害をもつ本人」だけの全国大会をもつということと、そして自分たちの執行部・理事会を作るということを提案しました。その提案が受け入れられて、私たちは自分たちの会を作る準備を始めたのです。


□ 「相互関与」「共同決定」がもたらす自信と達成感

 私たちの本人の会【クリッパン(岩盤)】は、スウェーデン全国を五つの地区に分け、それぞれの地域の会から代表を出してもらって、私を入れて7名の執行部・理事会を作ることが出来たのです。こうして私たちは「自分たちに関わる問題の対処」を行ってきたのですが、これはいつも旨く行っていたのではなくて、難しい問題にぶつかることもありました。しかし、そうした困難な問題もFUB全国連盟の私たちに対する信頼感にもとずく道義的なサポートを受けて、そして「私たち自身の私たちに対する信頼」により、問題を解決すること、事を進めてくることが出来ました。

  このFUB全国理事会と私たちの「本人の会」のお互いの信頼関係「相互関与」と「共同決定」に基づく関わりが、私たちに「自信」と「達成感」をもたらしました。やれば出来るんだということです。

 私たちの「本人の会」は、個別の問題についての委員会をもっていて、色々と話し合いを重ねています。そして、私たちの会の理事会は、勿論、物事を決定する権利を持っていますし、決定したことを実行する権利も持っています。

  問題の中には、なかなか難しい問題もありますので、私たちの委員会や理事会は、それぞれ「ハンド・リーダー」という支援者をもって会議を進めています。
 そうした支援や、FUB全国連盟のサポートがあることは勿論大きな力なのですが、何よりも私たち自らの「相互の信頼感」と物事を達成していく「自信」が、これからも私たちの活動を支えて進めていくことになるのです。

  日本にもそうした「本人の会」が、各地にあることを知っています。しかし、私の知るかぎり、それは全国的な大きな会ではないようです。

  私が日本のすべての人たちに望むのは「知的障害」をもつ人のことを決める時には、「知的障害をもつ本人」が参加、参画して、その人たち自身が発言していくことで、周りの社会に影響を与えて行くことができるということです。 そのことが非常に大事なことだということを知ってもらいたいのです。

 この言葉を持って、私の話を終わります。有り難うございました。



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司会: 「有り難うございました。それではここで休憩を取りまして、その後、質疑応答というこ
   とに致します。質問のある方は、お配りしました質問表に記入して、スタッフまで提出して下
   さい。お願いします。

 

−−−−−−−−−−−−−  休   憩 −−−−−−−−−−−−−−

 

司会:     それでは、皆さんからの質問に答えるということで、オーケさん大滝さんにお願いすること
        に致します。 時間の関係もございますので、全部のご質問に答えることが出来ますかどうか、
        時間の許す限りお話していただきたいと思います。
まず、最初の質問は「スウェーデンの国の人々
        は『障害観』といいますか、人々は「障害をもった方」をどのように見ている か、また地域生
        活の一番大切な点は何か。というご質問です。


□ スウェーデンの人々の「障害観」と本人の権利

オーケ:   現在、スウェーデンに暮らすハンディをもつ人々は、良いことばかりではありませんが、一
        般的にいえば、ごく普通の生活をしているといえます。 スウェーデンの『障害観・障害者
        観』というものは、最近できた【LSS法=(機能障害者に対するサービス援護法)】という
        ものの考え方に現れていると思います。その法律の基調には「障害をもった人の権利」が確立
        されています。これは「一般の人々のもつ権利」とは違った「権利」なのです。

              現在もコミューン、これは市町村単位の行政をいうのですが、ここに要求しているのは「交
        通手段の改善」です。これは、すべてのバスの床が地上と同じ高さになるように求める要求
        です。

          鉄道の列車についても、すべての路線で必ず一両は「ハンディをもつ人の車輌」を連結する
        ようにと要求しています。車椅子でそのまま乗り込めるようなリフトがついた車輌を連結する
        ということです。
飛行機の内部にも、身体的障害をもつ人に適した内部構造を作るように働き
        かけています。

          スウェーデンでは、障害のある人の交通手段の利用料金は、国と地方自治体の補助がつきま
        すので、ハンディをもつ利用者は少ない料金で利用することが出来ます。

          そうした便宜がはかられ、割と快適に生活することが出来ていますが、大事なことは障害の
        ある人にはどんな権利があるかを知ることです。


□ スウェーデン社会が経験した「変化」に学ぶこと

大滝:     一般の人々の『障害観』ということについて、これは、随分変わりました。私がスウェーデ
        ンで障害をもった人の『音楽サークル』を始めた頃には、『こんな人たちに音楽を教えて、何
        んになるんだ』というような声も聞きました。また、
20年ほど前にグループ・ホームが各地
        域に作られ出した頃には、地域住民の反対運動もありました。そういう人たちが住むようにな
        ると地域の地価が下がるという理屈ですね。おそらく、今の日本がもっている色々な問題はス
        ウェーデンは全て体験しているわけです。

          ですから、スウェーデンの社会は、何か特別な社会ではないのです。日本と同じ問題をもっ
        た社会だったのです。ですが時代のテンポが違うのですね。これも障害をもつ人々がドンドン
        社会に出ていって要求したから、先ほどのオーケさんのお話のように、色々な制度が出来てき
        たんですね。
昔は障害のある人は、閉じこもり、閉じ込められていました。
          障害のある人々が社会に出て行くことによって、受け入れ方が変わってきたんです。皆が外
        に出ないと周りの人はわからないんです。

          グループ・ホーム建設反対の問題についても、一緒の地域で住み始めて、その人たちのこと
        をわかれば問題はなくなっていくんです。
わからないこと、理解できないことに対して人は不
        安をもち、怖がったりするのですね。
一緒に住み、一緒に暮らすことが人々のお互いの理解の
        ために一番大事なことです。

 
司会:     次の質問です。スウェーデンでは、障害のある子どもは一般の学校へ通っていますか。そし
        て放課後の地域での周りの子どもとの交流はどうなっているのですか。また、何か特別な教育
        プログラムはありますか。  


□ 障害をもつ子の教育の現状

オーケ:   スウェーデンの障害をもつ子供たちの教育は、普通の学校・学級か、あるいは養護学校、
        そして一般の学校に統合されている養護学級のどれかを親が選んで通うことになっています。
          一般的な両親は、地域の学校に統合されている養護学級を選ぶようです。
幼児教育、保育
        所、幼稚園の段階では、子供たちは全員地域の同じ所に通います。小さな時から、一緒に遊
        ぶ、一緒に活動をしていく中でお互いを理解することが養われていくわけですね。

大滝:     つけ加えますと、日本と同じように「学童保育」があります。放課後4時ぐらいまで遊んで
        います。
ここでは、障害のある子もない子も同じ所へ通います。
          最重度の子の「学童保育」には、特別のプログラムをもった教室がありますが、同じ建物の中
        ですから、自然な交流はあるのです。


□ LSS法とハビリティション・プログラム

オーケ:   先ほど話しました【LSS法=(機能障害者に対するサービス援護法)】には、各個人がそ
        の個人のニーズによってプランを立てて、それを市の行政にもって行くプログラムがあります。

                地域には市ではなく県の単位の「ハビリティション・センター」があります。これは昔の
        「福祉事務所」ですが、日本のいわゆる「福祉事務所」とは違って、障害のある人のことを
        担当する所です。ここで個人の要求の実現の可能性について審査をして、判断するんです。

大滝:     先ほどオーケさんが話した「自分のことは自分で決める」というように、例えばパーソナル
        アシスタントを選ぶのも、自分に合った人を選ぶことが出来るんです。

          スウェーデンの【LSS法=(機能障害者に対するサービス援護法)】は、子どもから大人
        までの全ての障害のある人を援護する法律です。どんな援助がなされるかは、個人のニーズが
        様々に多様なので一概にはいえませんが、一人一人のプランを検討して専門職としてプランを
        立てて、行政に伝えるという制度があります。

司会:     続いて、FUB(スウエーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)の本人部会
        【クリッパン(岩盤)】の財源はどのようになっているのか。という質問ですが。


□ FUBが支える、クリッパンの活動

オーケ:   私たちクリッパンの経費は、全額FUB全国連盟の予算から提供されています。 毎年クリ
        ッパンは要求予算をFUB全国連盟に提出します。今年は
1215日に来年の予算会議があり
        ます。そこで話し合われます。

          来年の私たちの全国クリッパンの要求予算は、日本円で1600万円です。これが承認され
        るかどうかを話し合います。
ですから予算は集会の時の旅費、宿泊費、国会などへの働きかけ
        などの公的な活動の諸経費を細かく計上します。

司会:      有り難うございます。時間が迫ってまいりました、まだ幾つか質問をいただいておりますが、
        本日のテーマは「自分のことは自分で決める」ということで知的障害、発達障害をもった方
        が「本人参加」「自己主張」していくことの大切さを教えて頂いたわけです。

             ここで札幌で「本人活動」をしている方からの、札幌での活動の動きなどをお話していただ
        きたいと思います。「札幌みんなの会」の土本さんお願いします。

 
□ 札幌の本人活動について

土本:      みんなの会の活動について、お話します。私たちは毎年2月ごろ「人権セミナー」をやった
        りしています。これは私たち自身が実行委員会を作って、会議の運営や司会をやっています。
          それと私たちの意見の本作りをしています。第二弾がもうじき来年あたり出来ますので、皆
        さんに是非読んでもらいたいと思います。今週、岡山での全国大会へも仲間が何人か参加する
        ことになっています。がんばって下さいといいます。と、いうことで……。


司会:      有り難うございます。会場の「本人活動」のサポートをしている方で何かお話いただけま
        すか。


□ わかりやすい情報の提供がサポーターの役割

光増:      今、土本さんから本作りのお話が出ましたが、知的な障害をもつ方にはわかりやすい情報を
        出すということが課題だと思います。スウェーデンでは、【LL】と呼ばれるわかりやすい本
        作り基金があり、週間【8ページ】という本人のための新聞が出ています。
          FUB(スウエーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)の新聞も、本人向けと一
        般会員向の新聞を出しています。
そういう取り組みはまだ、日本では少し遅れているんですね。
          そういう知的な障害をもつ人がわかりやすい情報の提供、これはお年寄りにもわかりやすい
        情報ではないかなと思いますので、そうした情報提供の問題は私たち支援者にとって大きな課
        題となっています。


司会:      有り難うございました。それでは最後にオーケさんから、日本の「本人活動」の今後につい
        て、どういった事が大事なのかをお話いただきたいと思います。


□ 本人たちの団結で、人々に社会に働きかけることが大事

オーケ:   一言でアドバイスといっても、非常に難しいのですが。何よりも知的障害をもつ本人の会の
        人々がまとまっていくことが大事だと思います。
それぞれの地域の会がもっている問題、仕
        事のことや、住むことや、自分の時間の過ごし方などを、皆で考えていくことです。
          そして、その問題を政治家や役人に直接もっていくことですね。
学校の教師や病院、周りの
        一般の人々にも働きかけ交渉していく方向を持っていくことです。

          自分たちのことを自分たちで話し合い、それを周りの社会の人々に働きかけて話していく。
          そして理解してもらうこと。
それが必要で大事なことだと思います。

 

司会:      どうも有り難うございました。最後は駆け足になってしまいましたが……。 本日の講演会を
        このオーケさんの言葉で終わりたいと思います。」 


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大滝昌之さんのプロフィール


☆1942年 大滝昌之 札幌市に生まれる。  

☆1959年 北海道立札幌西高等学校卒業 ・働きながらアマチュア演劇活動を行う。

☆1962年 プロ劇団「劇団サッポロ」に入団。

☆1964年 上京 66年「劇団 三期会」入団。

☆1969年 片道切符で訪欧 スウェーデンに入国 。

☆1970年 ストックホルム大学IESスウェーデン語科に入学。 

        ストックホルム市内のクラブやライブハウスで音楽活動を行う 。

☆1979年 ストックホルム市郊外の知的障害のある人の入居施設「ビヨーンクラ」に勤務 。

        入居する人々(約150名)の音楽活動のシステム化に参加。

☆1981年 援護局職員養成学校に入学。

        ストックホルム音楽大学セラピー科に入学。

☆1985年 国民教育公団学習サークルのリーダーとして、市内10個所のデイセンターで

        音楽学習サークル指導活動に従事。

☆1988年 「エクトルプ・デイセンター」にロック・グループ「EKO」を結成 。

☆1988年 県自治体南地区援護局の音楽セラピストとしての活動のほかに

        国民教育公団ABFで音楽指導員として、発達に障害のある人々への音楽サ

        ークルのリーダーたちへの指導活動を担当。

☆1991年 ナツカ市にデイセンター「EKO」設立、以降9712月まで所長を務める。

        デイセンター「EKO」は、ナッカ市公営の「日常活動所」となる

        92年、94年、96年、「EKO」日本公演ツァーを行う。

        「クラブEKOフォーラム」として、日本各地でのワークショップ・講演活動を行う。

☆1995年 日本において、ネットワーク「クラブEKO」を設立する。

☆1998年 デイセンター「EKO」を退職、フリーとなる。

現在、ネットワーク 「クラブEKO」、代表

著書:『EKO・こだまするもの』 かど創房 
1992
翻訳:「さようなら施設」(オーケ・ヨハンソン著) ぶどう社 
1997

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オーケ・ヨハンソンさんのプロフィール

☆1931年 スウェーデンのハーランド県に生まれる。

☆1941年 教育養護施設・別名【白痴収容所】と呼ばれた「ハラゴーデン」に入所。

☆1950年 スコーネ地方の療育・労働施設「ロンネホルム城」に措置入所。

1975年   施設を出てファルケンバリーにて生活を開始。 
       スウェーデン国内の高校、大学、看護学校などでの講演活動や、
             国際会議への参加を重ねる。
             FUB(スウエーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)
             地域理事会の積極的な活動家として活発な活動を行う。

1984年    FUBの全国理事に選出される。

1985年 スウェーデン国会聴聞会で、当事者代表として意見陳述。
            「精神発達障害者等特別援護法」の法案用語の一部を、より適切な用語に
             変えさせるなど政策決定に当たって大きな役割を果たした

☆1993年 施設での32年間もの生活がもたらしたことについて、ジャーナリストの
             クリスチーナ・ルンドグレンさんと一緒に「オーケの本」を出版

1995年 FUB(スウエーデン全国知的発達障害児童・青少年・成人協会)理事。
                   クリッパン[Klippan(岩盤)]=FUB本人部会初代会長に就任。        



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テープ起こし及び編集: 札幌市 岩渕 進


オーケさんが書いて、大滝さんが翻訳した『さようなら施設』発売中!!

本の題名『さようなら施設・知的障害者の僕が自由をつかむまで』

出版社は「ぶどう社」 定価は税込1,470円です




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