スウェーデンの人々の生活観と福祉の現状 

スウェーデンの福祉の現場から 

 

講 師 デイセンター[EKO]前・施設長 大滝 昌之 

日 時 1997年3月13日(木)
場 所  札幌市かでるホール

 

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写真提供:北海道新聞

 

皆さん、今日は。

 ジッと座っていると話が出来ないので、前に出させて頂いて、皆さんの顔を見ながら話させて頂きます。

  私は、この札幌の桑園で生まれ育っているのですが、昨日、高いビルのうえから札幌の街を久しぶりに眺めてみたところ、とにかく三角山が変わってしまっていて、桑園駅の辺りなどは、人の住んでいるところは見えなくて、もう街になってしまっているんですね。 故郷に帰ってきたんだけど、何だか全然違う街に居るようで、嬉しいんだか、淋しいんだか解らなくなったところです。

  札幌というのは、すごく新しい街なんですね。 私は[EKO]の公演の関係で全国を回っていますが、北海道、札幌は特に福祉に対して、力を入れているというか、進んでいるところがあるようで、全国から研修や見学にくる人があると聞いています。これまで2〜3回[EKO]の公演を札幌でも、やったことがあるのですが。 今回は、90年代に入ってから本人活動、本人参加ということが、よく言われるようになってね。そういう意味で、本人に一番近いお母さんやお父さんとお話する機会があるということで、スウェーデンの[FUB]の会長である、エライン・ヨハンソンさんと一緒にまいりました。[FUB]というのは、知的障害を持つ本人と、その家族、そして僕らのような、そういうことに関心ある人が作っている会なんです。

 今日の本来の目的は、ヨハンソンさんの講演なのですが。 時折、日本からスウェーデンにやってくる人が、見学したり、研修したりしてると、あまりにも生活が違うのでね。 どうしても「あぁ、ここはスウェーデンだから」「日本じゃこうだから、こうはいかない」とね。そんな考えをもって帰る人が居るのですよね。

   スウェーデンの人々の生活は、その人々の生活に対する考え方から理解しないと、難しいものがあるんです。 ですから、ヨハンソンさんの講演の前に、27年間スウェーデン社会で生活してきた、僕から見た印象というか、スウェーデンの人々の生活に対する考え方をね、その辺を話していきたいと思います。


□ スウェーデンと日本−その生活観の違い

 福祉ということは、生活に根ざしたものです。人が、自分が生きるということはどういう事かとね。そこから出発していると思うのですが、自分の生活にとって、一番大事なことは何かというところで、日本とスウェーデンでは、考え方がだいぶ違うと思います。
    考え方の基本が違っていれば、色々な意味で捉え方も違ってくるんですね。

   日本の人々は、生活において一番大事なことは何かというと、ほとんどの人が「衣・食・住」と、答えるようです。着るものと、食べるものと、住むところが充実していれば、生活は充実していると考える。
 スウェーデンの人々は、生活をするうえで一番大事なことは、「住む・働く・余暇」とこの、三つを言います。
 つまり、人間というのは、「住む」ところがあって、「働く」これは、自分の生き甲斐をするということですね。例えば勉強をすることも、ここで言う「働く」ということになるし、出来ること、やりたいことを行なうということですね。
 そして、その時間が終わってからの時間、「余暇」ですね、これは。8時間眠って、8時間働いて、その後自分の時間をどうするかということです。

  この三つの要素「住む・働く・余暇」が揃つてないと、人間として人間らしい生活をしているとはいえないということが、生活感の基本となっています。


□ 「働く」ということの捉え方

  昨日、古い友人と話していたら、僕はもうすっかり忘れていたんですが、日本には三つの義務があるらしいですね。 教育の義務、納税の義務、労働の義務ということです。

 そこで、この日本の「衣・食・住」と、スウェーデンの「住む・働く・余暇」との考え方の違いをみていくと、最も違いが出てくる点は「働く」という意味ですね。
 つまり「衣・食・住」の充実が人生の目的という考え方で生活していると、「働く」ということは「衣・食・住」を充たすために、「働かなくっちゃいけない」ということになる。

 ところが、スウェーデンの人々のように「住む・働く・余暇」ということが、人間としての大切な基調であるとすると、自分の生き甲斐を「働く」ことは、自分の持っている権利だということになります。

 「働かなくっちゃいけない」社会にあつては、どうやって働くか、何をやって働かなくちゃいけないか、働けない人をどうしたらいいか、という考え方が生まれてくる。

 それで小さな時から、将来働くためには、どうしたらいいかということで、良い学校を出なくちゃ駄目だと、受験地獄になってしまう構造になるんですね。


□ 権利としての「生き甲斐」を「働く」ということ

 「働くこと、生甲斐をすることは権利」だとする社会では、働けない人の問題は、周り、つまり僕たち一人一人が作っている社会、社会の問題になってくる。そこで、保険の制度であるとか、教育をするとかの制度、措置が採られるわけです。 「働きたい」が権利であれば、「働きたくない」も、一つの権利になってきます。

 そういう意味でスウェーデンでは、「働けない」、自分の生き甲斐が行なえない場合にはどうするかというと、僕らは[網]と呼んでいるのですが、様々なネットがあるわけです。

 簡単に言うと、スウェーデンの福祉というのは、ある人がなんらかの理由で、人間的な生活の位置から外れそうだと、そこに[網]がある。その一つの[網]から、漏れそうだとすると、次の[網]が待っている。その下にまた別の[網]がある、ということです。
 人が人間としての生活の位置から外れないようになっている。それがスウェーデンの福祉の仕組みの原理なわけです。

 先程お話したように、「働かなくちゃいけない」という観念に縛られている、支配されている日本の人々は、「働けない人」に対しては、どうにかしなくちゃとなりますね。

   日本でね。普通一般的に「就労」している人ではなくて、もつと重度の人のお母さんから、こんな話をよく聞きます。「うちの子は、最重度だから働けない」「受入先もないし、どうしていいか解らない」というんですね。 それで、「衣・食・住」を充たすために「働かなくちゃ」ということは、何かを生産しなくちゃならないというわけです。「働く」イコール「物を生産する」という考え方ですよね。


□ 人との関わりは立派な生産行為

 僕は昔、役者の卵をしていたことがあって、そんな時フッと考えるんですよ。 売れない役者や、売れない小説家とかは、何を生産しているのかな・・・ってね。昔は髪結いの亭主なんて言い方で、今でも言うのかも知れませんけど、人の働くのに依存しているとかね。

 それじゃ、学校の先生ってのは何を生産しているのかというと、何かを生産しているわけじゃないですよね。 ですが、立派に給料をもらっているし、職業として認められている。
 人に教えるということは、生産行為だというわけです。

 最重度の子と関わっているお父さん、お母さん、家族、職員・専門職の人には、必ずあるはずですけど、この最重度の子が生まれてきてくれたことで、私はこういうことを教わった」ということがね、一度や二度ならず、そういうことは沢山あるはずです。
 僕も、障害をもった人たちと働いていて、「こういうふうに、考えなくっちゃ」とか、「人間とは、なんだろうか」とかね、色々考えさせられ、教わることが多いんですが。

 そうすると、この人たちは生まれてきたということで、立派に生産行為を行なっているということになります。
 
 
学校の先生が「教える」ということで、生産行為として生活しているのですから、
障害を持つ人が生まれてきたことで、社会とは、人間とは何だろうなと考えさせる作業を促すということでは、まったく同じ事だと思うんです。 つまり、生まれてきたこと事態が生み出す関わりの中で、様々なことを生産しているんだと思うわけです。


□ 障害を持つ人によって支えられる生活

 僕なんか、そういう重度の人々がいなかったら、ここでこういう話をしていることはないです。     [EKO]のバンド活動もなかったろうし、そういう人たちを知らないと、人は学んでいくことが出来ないんです。
 もっとはっきり言うと、僕がこうして生活していられるのは、そういう人たちがいて、その人を援助するということで、僕は生活していけてるわけですよ。
 あとでヨハンソンさんからお話があると思いますが、彼女の娘さんのピアさんは、パーソナル・アシスタントという人々を雇っている。 つまり、そうしたことで、立派に社会的行為をしているわけです。

 重度・最重度のお子さんを持つお母さん方も、「働けない」「モノを生産できない」ということではなくてね、そうした社会的行為が生産行為なんだと、そう考えられるといいですね。

 
□ 「余暇」とは生活を豊かにする時間

 これからの福祉ということを考えていくときに、こう思うんです。まあ、日本では「余暇」というと、すぐにリクリエーションのことになってしまうんですが・・・。
 
  大震災のあった神戸の人々の経験から、「衣・食・住」だけじゃ生活できないということがわかったですね。 地震の後で、バラックや仮設住宅はできて「住」。援助物資の「衣」。炊き出しオニギリで「食」。ですが、プライバシーがないから、様々な問題が出てきたわけです。

 問題は、このプライバシーを守れる時間と空間を、どう保障するかですね。
 それが「余暇」なんですけどね。

 僕らのように[EKO]で、音楽活動をして生活するというと、日本での捉え方は、余暇活動をするデイセンターだということになりますね。   でも、違うんです。[EKO]は、音楽活動を仕事としてやっているんです。コンサートのポスターを作ったり、宣伝、人を集める作業を含めて仕事として「働くこと」としてやっているわけです。

 スウェーデンでいう「余暇活動」というのは、極端に言うと家にいて何もしないでボーッとしていることや、テレビをボーッと見ていることも余暇活動になるんです。
そして、「余暇」の過ごし方とは、自分の生活を自分自身で、どうやって豊かにしていくかの基準になるものですから、保障されているわけです。

 「住む・働く・余暇」ということについて話してきましたが、日本とスウエーデンとでは、考え方が違っていること、わかって頂けたかと思います。

 
□ 本人のニーズに答える援助

ノーマライゼーションとインテグレーション(統合)の理念

 「福祉」ということについても、日本とスウェーデンでは見方、考え方、捉え方が違っていますね。 例えば、ここに対象となる本人がいます。そしてその周りに、親だとか先生、ケースワーカー、理学療法士だとかの専門職、そういうこと研究している学者だとか、そういう人たちが沢山いますよね。 そういう形は、日本もスウェーデンも同じです。
 
  ですが、一番違うのは、矢印が違うんです。

 日本では、老人、就労している軽度の人、最重度の人とか、つまり対象となる人の周りにいる人が、例えば親なら親で、その立場から「この人の介護をどうしてやったら良いか」とか、先生は先生の立場で、専門職は専門職の立場で「この人をどうやつてやろうか」とかって、矢印が本人に向かっています。

 最近の日本ではね、高齢化社会、老人問題なんかでも、この県ではこういう取り組み、あそこの施設ではあんなことをやっているとか、色々紹介されていますよね。 知的障害福祉を巡っても、そうですが・・・。 報道なんかでも、専門職の取り組みは聞こえてきますが、本人は何を望んでいるのかあまり出てこない。 老人とは、障害者とは、一体誰なんだろうか。なかなか出てこないんです。

 つまり本人の周りの親は親の立場で、職員は職員の立場で、専門職は専門職の立場で、色々考えるもんだから、立場が違えば、考え方も違ってきますから、対処が違ってきてしまうんですね。
 それで、親にしてみれば「私はこの子をこうしてもらいたいんだけれど、あの人がこうするから、困ってしまう」と、親と職員の対処の違いが、色々なところで出てくる。

 スウェーデンでは、本人を取り巻いて周りに色々な立場の人々が居る、という形は同じですが、矢印の向きが違うんですね。「本人であるこの人がこう言っているから、親はこうしなくちゃいけない」とか、先生は先生で「この人はこういうニーズがあるから、それに答えなければならない」とかですね。
 
    矢印は、本人から周りに向かっている。 

 それで立場が違って、それぞれの対処が違うといけないので、僕たちは共通の言葉を持っているんです。 それで、その共通の言葉は何かというと、皆さんもご存じのように、ノーマライゼーションであり、インテグレーションという理念であるわけです。
 みんな一緒に、普通に生活しなくちゃいけないということですね。
その理念を共通の理解の前提として関わる。 この人はこういうことを望んでいる。こういう暮らしがしたいといっている。しかも、「住む・働く・余暇」という権利を持っている人が望んでいるのですから、主張はわかりやすいですよね。その人が望んでいるのだから、答えてあげればいいわけです。

 その答えの方法を見付けるのに、理念があることで簡単になるんです。

 
□ [FUB]運動が福祉施策の発展を促す 

 スウェーデンの福祉の仕組みを日本から見ていると、ひどく複雑なように受け取られがちなんですが、実は、案外簡単なことなんです。 複雑なのは日本の方で、そこから見るから何でも複雑に見えるんですね。 国が違う、形が違うとね。いつもそんなふうに見えますけど・・・。

 エフ、ユー、ベー[FUB]という組織が出来たのは、1952年のことですから、この会場にも沢山いらっしゃる、育成会が出来たのとそんなに変わらないですね。
 それから此迄の、この40年の間に出来たスウェーデンの知的障害者に対する施策、サービスというのは、[FUB]が、主導権を持って作り上げてきたものなんです。
    親として、親の立場として、主張してきたわけで、子どもが何を望んでいるのかをちゃんと研究させる。また、僕らのような職員の対処も、仕組みとして出来るようにとかね。

 最近、日本では「本人の自己決定が大事なんだ」と言われていますよね。先駆者の方々はだいぶ以前から主張していたことですが・・・。
    その意識がドーッと入ってきたのは、「本人の自己決定」という考え方が具体的になったのは、僕の考えでは、1990年のパリで開かれた世界大会に、日本から参加した人たちが、スウェーデンの本人たちがドンドン発言する姿を見たり聞いたりして、それからだと思います。
    ほとんど、自分たちのことをなかなか言えない日本の状況を考えて、これから大事なのは何だろうかなとかですね。
  これは、日本から参加した、先駆者でもある、本人の方が話されたんだと思います。

 それから7年たって今、言葉としては「本人自己決定」「本人参加」ということが、言われるようになってきています。 言葉は入ってきたのですが、でも、なかなかそれをやることが出来ない。
 やはり「衣・食・住」のために「働かなくっちゃ」という観念に縛られ、「自分の立場で考える」ということに、慣らされているから、言葉だけになるんですね。
「スウェーデンでは、『自己決定』『本人参加』と言われている」とかね・・・。

 外から見ていると実によくわかるんですけど、FUBに関しては[グループ・ホーム]のことでも同じでけど、作らなくっちゃとというんで、作っちゃう。
 ですが、まだまだ日本全国には「入所施設を作ってくれなくっちゃ、困る」という、お母さんたちの声があるんですよね・・・。
   それで、なかなか事は進んでいかない。


□ 「自己決定」「本人参加」の意味を問う

主張がなければ、福祉は遅れる

  言葉の意味を問わなくてはなりませんね。
    何故「自己決定」が大事、重要なのかということなんですけど、意味を飛ばされちゃって、「自己決定」という言葉だけが入ってきたり、スウェーデンでは「自己決定」しているということを現象としてだけ見ていたら、どうしてそれが大事で、そうしなくちゃいけないのかと言う考えが浮かんでこないと思うんです。

 これは僕自身の考えですが、どうしてスウェーデンでは、世界で一番進んでいるという福祉が出来たのかなぁということですけど、いろんな社会学者が、文化だとか、歴史的要件だとかの流れのなかで、様々に研究して色んな本が出されていますが、僕が暮らしていて見えてきたことを、お話しますとね、スウェーデンという国は、1880年代にですよ、視覚障害を持った人たちが、自分たちの団体を組んで、主張してきたという歴史があるんです。120年も前にですよ。
 本人たちが、「私達には、こういう権利があるのだから、それをやってくれなくっちゃ困る」というんで、ドンドン要求、権利主張をしてきたんです。

 知的障害を持つ人々はどうかというと、昔は医者であるとか、そういった人たちが「どうしてやろうか」とかね。これは、日本も同じですけどね。
 でも、1952年に[FUB]が出来ることによって、始めて知的障害を持つ人の権利が主張されるようになってきた。 そのことによつて、制度は進みました。交通サービスだとか、グループ・ホームだとか、デイセンターという組織が作られるようになってきたんです。
 スウェーデンという、障害を持つ人の「本人の主張」といつたものが、120年も前からあって、長い歴史をかけて来たところであっても、知的障害の問題は、ずーっと、トンでいたんですね。1950年代になって、始めてグーッと伸びてきたんです。

 この事はね、いかにスウェーデンであっても、主張しなければ福祉は遅れるという、そういう事の証しです。

 ですから、「本人の自己決定」ということについては、同じ人間だから「話を聞こう」「彼らも主張する権利を持っている」とかいったような、言わば道徳的な観念で言うのではなくてですね、
  「本人の主張」がないと、そうしないと福祉は遅れる、そういう事です。

 僕は、確信をもってそう言うことが出来ます。

 
□ 福祉はボランティアではなく社会がやるもの

 日本では、法律といったものが、どうも遠くにある。その法律によって施行される行政もですね。ずーっと遠くで、政治家たちがやっているという感じです。

 僕らのような現場で働いている職員は、スウェーデンの法律を施行するという立場ですよね。
 スウェーデンでは、福祉にボランティァという考え方はないんです。福祉は、人を人が助けようということで成り立っているのではなくて、社会がやらなければならないこととしてあるんです。

 [FUB]のような、協会はボランティァですよ。他にも、虐待された子どもを助けるボランティァとか、子どものスポーッ・クラブなどは、すべて、親のボランティァで運営されています。
 NGOというのですか、非営利団体が各々の分野で、縦横無尽に活動しています。 そういう意味で、ボランティァは沢山あります。
    だけど、福祉は社会がやらなければならないという立場ですから、社会が人を雇ってするということですね。

 今のスウェーデン人たちには、地域福祉という言葉は解りません。そういう考え方はないんです。 何故、そう言うかというと、僕が始めて日本とコンタクトを取ったのは、1991年の育成会の全国大会に通訳として呼ばれたんですけど、その時のテーマが、「地域福祉」だったんですね。
    それには、国がやっていた許認可や事業の細かいことを地方自治体に移管するということ、つまり行政上の「地域福祉化」ですね。それと、そのシステムを地域の人々でどうやってやっていくかと、その二つの意味があったと思うのですが、違っていたら、後で教えてください。

 
  その「地域での福祉」をどうやっていくかということで、スウェーデンから、講師を呼んだんですね。
ところが、スウェーデン人の講師は、その「地域福祉」という言葉が解らないんです。
 スウェーデンの福祉では、ズーッと昔から、失業保険とかは国で、医療は県単位、それから、老人福祉、児童福祉、障害福祉や学校は、コミユーンがやっているんです。
 最近になって、知的障害を持った人たちについても、それまで県の管轄だったのが、コミユーンが責任を持つようになった。 コミユーンは、知的障害を持っている人の、住民としての権利である福祉のケァをどうするかということで、色々システムを作ってるわけです。

 日本の社会福祉事務所とスウェーデンの地区事務所では、同じ福祉といっても、役割も違うし、働き方も違いますね。
 ですから、スウェーデンでは、福祉のケァをどうするかは、親やボランティァさんやらが、あれこれするのではなくて、コミユーンの責任としてシステム作りからやっているんです。
 「地域福祉」という言葉の概念は、スウェーデンにはないんです。ですから、わからなかったですね。 そこで、僕も始めて日本の福祉の構造がどうなっているかが、解ったんです。
   それが、1991年のことでしたね。

 今、お話しましたように、スウェーデンでは、すべての責任がコミユーンにあるのですから、コミユーンの施設で働く僕の役割というのは、法律に書かれていることを実施しなければいけないということです。


□ 法的に明記された援助者の義務

 その法律に書かれている基調は何かというと。 「本人が自分で自分のことを決めて、自分の人生を作っていくことを」僕ら職員は、「援助しなければならない」と、いうことです。
 つまり、あらゆる福祉の部門で働いている人々は、援助者・支援者であって、それぞれが、デイセンターの職員であるならば、何をしなければならないか。グループ・ホームで働いている人であるならば、何をしなければならないか、パーソナル・アシスタントは、何をしなければならないかということになってます。

 その法律に書かれているように、本人が「人生を決めていく」ことのために、どうやったら手助けできるかと、やるわけです。

 僕は、音楽をやっているわけですが、音楽をやるうえで僕がやらなければならないことは、関わりの中で、本人たちが自分のことを表現してくるのを学び取るということ、つまりコミニュケーションを主体として、「自己表現」の支援をやっているんです。

 
□ 生き甲斐を「働く」ということ

 先程の「働く」ということに、戻って考えてみます。お話したように、日本とスウェーデンとでは、捉え方が違います。 働ける人は、働く。それは、当然な訳ですが・・・。

 一般に「作業」ということが難しい人たちの問題を考えるときに、ここでも、捉え方が違ってきます。 実はこれが、僕の目から見ると、非常に決定的なことなのですが、知的障害を持っている人たちとはどういう人たちか、という捉え方が、日本とスウェーデンでは、決定的に違うんです。

 日本での捉え方は、知的障害のある人は、知能指数の低い人。
そうじゃないですか?
    そして障害に等級をつける。Aだ、Bだとね。重度だとか、中度だ、軽度だと分けていますよね。スウェーデンには、療育手帳はありません。等級もありません。分けません。

 「働く」ことや、「作業」ができない、つまり「仕事」一般の企業での就労が出来ないで居る人というのは、何らかの理由によって、「働く」つまり生き甲斐をする「権利」が害なわれているのですから、生活を支えるために年金が一律に支給されるんです。
 それで、その人の「生き甲斐」を、それぞれの形で、出来る範囲で行なっていくことが出来る訳です。 人間として「働く」ことの意味と意義の捉え方が、違っています。

 日本では、すでに立派に「人間としての生産行為」を行なっている人に対して、更にその能力を超えて、「働かせよう」という風潮が周りにある。
 僕たちは、「人間とは、何であるか」とという観点から、そして、この人はどのような成長、生育段階にあるのかなと見るわけです。日本での障害の等級付け、軽度、中度、重度と、僕らの捉え方は、ちょっと違うんです。

□ 等級付けでは見えない援助の視点

 例えば、最重度の人のことを考えてください。この人たちは、今、此処にあることしか解らない。時間や、空間、その部屋の外にあるものが解らない。絵というものが、解らない。そういう人たちが居ます。

 僕らが往々にしてやることに、「さぁ、これから外へ行くよ。外は雪で寒いから、オーバー着ようね。」と、部屋の中でオーバーを着せようとしますよね。しかし、この人たちは「これから」が、解らない。「外」ということが、解らない。何処が「外」なのかね。見えない世界を「外」といっても、今ここにあることしか解らない人たちには、難しいことなんです。

 ここは寒くない、暖かいのに、オーバーを着せられる。 つまり、理解しがたいことのために、更に理解しがたいことをさせられるのです。 全然、解らないことを話し掛けられ、要求されるのです。

 援助とは何か、その人が何が理解できて、どのレベルにあるのかを解った上での援助でないと、援助の意味をなさないんです。
 ですから「自己決定」や、意志表現についてですが、言葉を持たない人に「喋ってくれ」は、ないですよね。
 僕たち、周りにいるものたちが、その人は「何を言いたいか、言おうとしているか」をね、わかるようにしなければ、援助は成立しないのです。

 
□ リハビリではなく「ハビリティーション」、人々の能力を生かすということ

 先日、「スウェーデンでは、重度の人の結婚はどうなっていますか?」なんて、質問されたんですが、 僕らが言う「重度の人」を考えるとね・・・。
    そもそも結婚などというものは、普通の人でも難しいことじゃないですか。
日本では、適齢とか、歳相応とかね、色々あるし。 女性は、25才ぐらいで結婚しなければいけないとか、男性は、こう見えなくちゃいけないし、50才も過ぎた男が、こんな耳輪などしていたらどうだとか、ヒゲなどをはやしていたらとかね。

 いわゆる「普通の生活」像といったものがあって、そうした「らしさ」というのですかね、それに合わせよう、どうやってリハビリティーションしょうかとね。
 僕らは、重度の人たちに対して「リハビリティーション」という言葉は使いません。

    何故かというと、「リハビリティーション」とは、病気を治すとか、以前の状態に戻す、「復帰」ということですからね。
    重度の知的障害を持っている人は、病気じゃない。元の生活に戻すとしたら「赤ちゃん」になってもらうしかない。この人々は成長していく中に居るのですから、常に成長している人なんですからね。

 ですから 僕らは「ハビリティーション」をするんです。
 「ハビリティーション」というのは、その人の持っている「能力を生かす」ことです。 この考え方から、物を作ることだけが「働く」ことではないという、考え方が生まれてくるんです。
 この観点から、もっと話を進めていけるとね。スウェーデンの福祉の考え方がわかって頂けるのですが、時間がきましたので、僕の話はこれぐらいにして。

 ヨハンソンさんの講演には、僕も通訳として参加しますので、次に札幌にくるときには、今回のフォーラムで知合ったお母さん方や、施設の関係者の皆さんとね、今度はこんな大きな会場でなくていいですけど、色々お話して行きたいと思います。

 それでは、これで僕の話を終わります。

 有難うございました。(拍手)


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総合司会:上田

 有難うございました。予定では、ヨハンソンさんの講演の前に休憩を、ということでしたが。

大滝 昌之 : 

 僕の話が、長くなってしまってね。ヨハンソンさんはお話できるでしようが、でも聞いてるほうがね。2時間半は、長いですね。息抜きしたらどうですか。それから、新しい気持ちでヨハンソンさんの話を聞いてもらいたいですね。

総合司会:上田

 それでは、休憩を取ることにいたしましょう。会場の皆様にお渡しした、レジュメの中に「質問用紙」が、入っています。午後の部のパネル・ディスカッションで、その質問をお二方にお尋ねしたいとおもいますので、どうぞ、ご記入して頂いて、受け付けまで出して頂きたいと思います。
   どうぞ、宜しくお願いいたします。

 それでは、これより10分間、休憩いたします。


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あとがき

 色々な分野で活動している親たちが手をつなぎ、各方面のバックアップを得て実行委員会を作り、企画・運営した「フォーラム HAND イン HAND」は、沢山の思いをのせて3月13日[かでるホール]で開催されました。

 私にとって、初めての経験だったため、裏方の仕事に時間を取られ、全く講演を聞くことができず、残念の一言でした。 そんなわけで、この記録集を一番楽しみにしているのは、実は私なのかもしれません。

 またエラインさん、大滝さんの札幌滞在中は、なにかと接する機会があったにもかかわらず、「英語が話せない !!」「積極的に声をかけられない」「言葉が出ない」「あぁ…………」。

 残念なことばかりだったのです。 でも、子供のための私の人生ではなく、私自身の人生と重ね合わせながら考え、それぞれの人生が豊かなものと実感できる社会に向けて、今回のフォーラムが礎となることを願ってやみません。 


1997年6月30日 「フォーラム HAND イン HAND」実行委員会 

副委員長   藤沢 静江

                                  
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テープ起こし及び編集: 札幌市 岩渕 進

 


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