【EKO】とともに
エライン・ヨハンソンさん
クリスマスの少し前、大滝昌之氏が、常時コンタクトのある「クラブEKO」という日本の団体から丁重な招聘を受けました。
ご存じのように、EKOはナッカにある知的障害者のミユージシヤンを含むグループで、大滝氏はそこのリーダーです。そして、12日間の間、大滝氏の通訳で、日本の6つの都市で親や施設職員に対して講演をしてきました。
私にとって日本は、文化の異なる遠い国で、しかも、非常に親近感を感じる国でもあります.その日本で、知的障害者、親、そして職員のみなさんと間近にお会いするのは、本当に素晴らしいことでした。
一般的に日本は、世界でも近代的な発展を遂げた国として知られていますが、同時に知的障害を持つた人やその家族に対しては、非常に保守的なものもあります。
近代的なことの例をひとつ挙げますが、大阪から札幌までのジヤンボジエット機に乗つた時、機内のモニターから離着陸の様子が見られるのです。これはとても珍しく、楽しいものでした。
一方、日本では、まだ大きな施設が、数少ないグループホームと、一緒に建設されているのです。大建設の施設に対する援助が、グルーブホームよりもずっと大きいので、当然グループホームを運営していくのは難しいことになります。また、スウェーデンとは違って、日本では知的障害を持った人のための活動のほとんどが民間に委ねられています。
しかし大勢の日本人がスウエーデンを訪れ、例えばオーケ・ヨハンソン氏の名前もよく知つています。オーケ氏の本は英訳され、あちこちに出回っていますが、私もこの本のことを宣伝してきました,大滝氏はこれを日本語に訳しましたが、残念ながらまだ出版されていないそうです。オーケは、日本では非常に関心を持たれていて、私としても、オ一ケが、日本を訪れる機会が早いうちに来て、日本の人のために施設に住むと言うことがどういうことなのかを、是非、語ってもらいたいものです。
もう一つ保守的な例として、日本では、知能指数が使われていて、すでに幼児期において知能障害で子ども達を分けているのです。
大阪で、ある知的障害児の幼椎園を訪れました。大滝氏と私は、子どもが早い時期において知的障害児のレッテルを張られていることを目の当たりにして、非常に驚きました。全部で20人程いた子どものうちで、私たちの見解ではっきりと知的障害児として認められたのは3人だけでした。
ほかの子ども達はみんな普通の子供のように、言葉をしやべり遊んでいました。
おまけにこの障害児の幼稚園は普通児の幼稚園のすぐ隣に設置され、大きな塀がこの2つの幼稚園を分けていました。
そこの所長に私たちの感じたことを伝えようとしましたが、うまくは行きませんでした。日本は国連の児童憲章にサインした国の一つなのですが・・・。
私の講演では、ノーマリゼーション、インテグレーションのほかに、たとえ重度の知能障害や機能障害を持つ子どもでも、出来るだけノ一マルな生活を司能にする事の重要性を述べてきました。
日本から帰るとすぐに、私は、ウプサラで行われたハンディキヤップ協会による「知能援助についてのインフォメーションフオ一ラム」に出席しました。 このフオーラムには、スウェーデン全国から約280人が集まり.知能障害に対する援助、介助の器具、用具についての討議がありました。知能援助の器具などと聞くと非常に複雑な技術や高価なもののように思われますが、決してそうではありません。それは、まず私たち施設職員、親そして政冶家の持つ姿勢や新しい考え方のことであり、講師のペングト・リンドクヴィスト氏が述ぺたように「知識・意志・リソース(資源)」であるのです。
これらの間題についての最近の動きには驚くべきものがあります。私の新しい日本での体験やこれらの知能援助でのディスカッションのことを考えると、日本での近代的テクノロジーの発展と私たちスウェーデンの知能に対する考え方が、これからうまくつながり、協調しあっていくことを願わずにはいられません。
クラブEKO会報 紙「ブレティーネン」No.8 掲載記事、1997年 8月
発行
(スウエーデンのFUB広報誌より翻訳転載)
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